「石田さん、泣いてなかったね」

クラスの女の子が、小学校のトイレで私にそう言った。その日の朝、ホームルームで、ひとりのクラスメイトが急に亡くなったと担任が私たちに告げた。担任は話しながら嗚咽を漏らした。先生が話し終わる前から、クラスの女の子たちの多くが涙を流した。これはそういう場面なのだと思ったが、私は亡くなった子の顔をおぼろげにしか覚えていなかったし、感情を「正しい方向」へ持っていくことができなかった。とりあえずハンカチを目に当てて、小さなシミを作ってみるなどしたが、周囲にはバレていたらしい。指摘されて、やってしまったなあと思った。それと同時に、腹も立った。どうして感情を強制されなくてはならない? その場で反射的に泣けるなんて、あなたがた、ちょっと軽率なんじゃないですか? その怒りの矛先は「死を悼む」行為全体に拡大していき、私は「誰かが死んでも悲しむもんか」と思うようになった。

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アリスが死んだ。アメリカンコッカースパニエルという種の、長い茶色の体毛が美しい犬。食べることが大好きで、なにか拾い食いできるものはないかと散歩中は常に周りをうかがっていた。しっぽを振るときは腰から左右に動いて、南国のダンサーのようだった。小学5年生の春、私の切望で家にやってきて、高校2年の冬に死んだ。

ある日、私が家に帰るとアリスは息を引き取っていた。晴れた眩しい昼、白い光の中でペットシートの上に横たえられていた。もう身体は固くなり始めていて、触っても動物の生気は感じられなかった。「あぐらの上にのせて撫でていたら、突然ぐわっと口を開けたの。噛まれるかと思った。それが最期の息だった」と母は言った。立ち会えなかったので、私はその言葉を頼りに様子を想像してみることしかできない。

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ペット用の斎場で火葬した。広いホールの隅に火葬の窯があって、家族は火葬の間、そのホールで待つ。誰もいないホールの、窯から遠いところで父はウロウロと歩き、泣いているようだった。私は泣かなかった。悲しみはまだ私を飲み込んでいなかった。目の前にあることを処理するのに忙しかったんだと思う。死んだ犬を見るのも、ペット用の斎場に行くのも初めてで、起こること全てを新規に処理しなくてはならなかった。アリスはカサカサとした骨になって、薄いピンクの骨壺に収まった。

アリスが死んでからしばらく経ってから、どういう文脈か忘れたが、父がふとこう言った。「ゆきこは意外と冷たいところがあるからなあ」。また腹が立った。お望みならやってあげましょうか、と思って、父方の祖母の葬式では大いに泣いてみた。どうだ! と思ったが、父からは別に何も言われなかった。もやもやとした居心地の悪さが、しばらく心の中に残った。

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私は大学進学を機に上京し、大学の寮に住むようになった。寮はひとつのフロアが3つの「ポッド」に分割されており、ひとつのポッドは4部屋により構成されていた。自分の部屋にいると、廊下の足音や隣室の物音が聞こえる。隣室のドアが開け放されていると、風で揺らされるたびに軋んでキュンキュンと音を立てた。その「キュンキュン」は、アリスが鼻を鳴らして甘える鳴き声によく似ていた。夜、暗い部屋のベッドで「キュンキュン」を聞きながら、もう会えないアリスを思ってしばしば泣いた。 

私がいちばん阿呆だったのかもしれない。ホームルームの教室で、ペット用斎場で、素早く激しく泣くのが賢い人たちの悼み方だったのだ。自分の悲しみを敏感にキャッチし、心の底から本当の涙を流せることは、優秀な人間の証なのだ。愚鈍な私は、がらんどうの教室のさよならの席に居残りをした。居残りは数年続いた。