私は「おまもりコレクター」なのかもしれない。いや、「思い出コレクター」と言った方が正しいのだろうか。
いずれにせよ、私の日常生活にはあらゆる場面においておまもりが潜んでおり、私の心の健康を癒すお供として活躍している。大切にしているおまもりを言葉で共有するのは初めてで少し恥ずかしいが、紹介してみたい。
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常に肌身離さず持ち歩いているものから話してみる。透明のケースに包まれたスマホの裏に隠されている、映画の半券とプリクラ、シールだ。
小さい頃から大大大好きで、最高に感動し勇気をもらったスパイダーマンたちが集結した映画のチケット。11年の付き合いである地元の友人たちと高校卒業の記念に撮ったプリクラ。夢の国で友人からサプライズでもらった、キャストさんのメッセージと可愛いイラストが入ったバースデーシール。
どれもかけがえのない思い出が記録として残っているものであり、思い返すたびに心がじーんと温かくなるものたちだ。
今度は「おまもりの宝箱」ともいえる財布と筆箱にあるものたちを紹介したい。
財布には、コロナ禍で運よく留学することができたオーストラリアにおいて、11回も通いつめたホームステイ先の近所にあるお気に入りのカフェのレシートと名刺。縁起が良いと母がくれた、表には沖縄首里城の守礼、裏には紫式部が描かれている2000円札。メキシコに住んでいた幼少期、初めてもらったお小遣いでお菓子を買い、お釣りとして余ったコイン。今ではもう手に入れることが難しくなってしまった夢の国の紙チケットたちが入っている。
使い古してジッパーが破れかけている筆箱には、中学生の頃から愛用し、テスト勉強の戦友としてお世話になっているお気に入りの5色ペン。今ではヨレヨレになって文字も薄くなってしまったが、授業中先生にバレないように回した、たわいもない会話のメモきれ。大学生になって初めて仲良くなった友人がくれた「留学がんばってね」の応援メモが入っている。
また最近では新たに、身につけるものとしてのおまもりができた。20年間生きてきて初めてできた恋人とのペアリングである。
基本的に付けるのを忘れたことはない。夏の暑い日にまだぎこちない2人が初めて一緒に作ったもので、記念日とイニシャルが刻まれている。何がなんでもなくしたくない大切なものだ。だが、他のおまもりとは違ってどうしても付け外しをするため、バタバタと忙しい朝は忘れてしまうこともある。そんな日は朝からテンションが下がり、学校に向かう満員電車の中で、「今日はよくないことが起きそうだから気をつけよう...…」と1人で反省会を行うこともある。
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おまもりたちを毎日1つ1つ手に取ってじっくり眺めるわけではない。でも、ふと行き詰まった瞬間や疲れている時、緊張している時に安心感をくれる。
私にはちゃんとその時間を過ごした証があり、私の周りには「ふっ」と笑顔にさせてくれる人たちがこんなにもたくさんいるんだと思い出させてくれる。おまもりたちは今日も明日も頑張ろうという元気をくれるのだ。
おまもりと聞くと、神社で手に入れるような神様の力をいただくもの、あるいは信仰や迷信といった不思議な力を持つものを思い浮かべるかもしれない。だが、私にとってのおまもりは、私が過去に経験してきた瞬間たちと思い出である。
もしかしたら、誰かにとってはガラクタでありすぐにゴミ箱に行ってしまうようなものかもしれない。それでも、あらゆる場所にひっそりと隠れているおまもりたちは、私にとって心の喜怒哀楽に寄り添い支えてくれるものであり、無敵のビタミンなのだ。
今日も私は大切なおまもりたちに包まれながら新たなおまもりを作っていく。