「あなたは、クリスマスが好き?」と聞かれたら、私は、少しも迷わずYESと答えるだろう。一方で、「あなたは、バレンタインが好き?」と聞かれたら、ちょっと回答に困ってしまうかもしれない。
私にとってのクリスマスが、物心ついたときからずっと「特別な日」だったのに対して、バレンタインデーは年によって大事な日になったり、苦手な日になったり、「ただの平日」になったりしてきたからだ。
女子校時代、100人以上に配る「友チョコ大交換会」は一大イベント
女子校時代のバレンタインは、1年で1番のイベントだった。
普段の仲の良さにはもはや関係なく、すれ違った友人とひたすらお菓子を交換する「友チョコ大交換会」。ビジネスの展示会などで、訳も分からず大量の名刺交換をしているときと、光景としては似ているかもしれない。
私は中高一貫校に通っていたため、高校生の頃には学年の大半が顔見知りになり、そうすると100人以上の友人にお菓子を配ることになる。
当時、同じく女子校に通っていた妹と、同じクッキーを分業して大量生産し、ラッピングもせず大容量のタッパーに入れて学校に持参していた。
友達からもらうお菓子もたいていラッピングされていないので、それらを持ち帰ることを見込んで空のタッパーも持って行く。家に帰るころには、誰に何をもらったのか、すっかり分からなくなっていた。
情緒があるんだかないんだか、ある種の戦のようでもあったが、私はあのときバレンタインデーが好きだった。
男性たちが味や見た目を品評する「女子力博覧会」を避けた大学時代
大学に入ってからは、義理チョコなり、本命チョコなり、「女性が男性にチョコレートをあげる日」という、本来の意味でのバレンタインデーの存在感が強まってきた。
サークルに行くと手作りお菓子を配っている女の子たちも多く、当時の私には「誰がおいしく、見た目も美しいお菓子を作れるのか」を男性たちが品評する「女子力博覧会」の日のように感じられた。
美味しい手作りお菓子を配れない人は、「女子力がない人」と烙印を押されるような気がして、巻き込まれないように、とバレンタインデーの日はサークルを休んでいた。別に、誰にそうと言われたわけでもないのだが、なんとなく苦手に思って敬遠していたのだ。
ちなみに、大学時代には本命チョコも何度かあげたはずだが、あまり詳しく思い出せない。
思い出すのは、ほとんど告白のようにチョコを渡して受け流された年のことと、外国でお菓子作りに挑戦し、砂糖と塩を間違えてしまった年のこと、どちらもそれほど甘い記憶ではない。
社会人になってバレンタインは、すっかりただの平日になってしまった
社会人になってからのバレンタインデーは、すっかりただの平日になってしまった。
私の職場でバレンタインデー・ホワイトデーにお菓子交換をする習慣がないのは、過去に「やめよう」と声をあげてくださった先輩方がいたおかげだと思うし、感謝している。純粋な「あげたい」という気持ちではなく、義務感からチョコレートを選んだり作ったりすることは、なかなかに苦痛だ。
ただ、クリスマスと同じように、冬の季節のイベントの1つとして、素通りしてしまうことを寂しく思うときもある。
もう今の私には、100人分以上のお菓子をこしらえる、気力もパワーもないのだけれど。