小学2年生。学校に行けなくなった。嫌な事はいくつもあった。でもその嫌な事が学校に行けなくなった理由なのかと言われると違うような気がしてた。だからといって他に理由があるわけでもなかった。

今でも当時の苦しかった気持ちが昨日の事のようにフラッシュバックする。時間が経ち、行けるようになった保健室。そこで出会った先生には卒業するまでお世話になった。
小学3年生になった自分は何事もなかったかのようだった。教室に入り、授業を受け、休み時間には友達と遊び、友達と下校していた。そんな生活を続けられたのは1年。

小学4年生。学年が上がったことは確かなのにまるで小学2年生に戻ったようだった。また行けなくなってしまったのだ。自分が分からない生活が始まった。

大きな音が苦手、大人数のクラスに入っていけない。そうやってやっと自分の事を理解できたかもしれないと思った。

でも、学校ではない場所での大きな音や大人数は苦ではなかった。そんな矛盾が苦しかった。年齢が上がるにつれて考える事も変わっていく。それが私をさらに苦しめた。

結局、義務教育期間中に普通を経験出来たのは小学3年生が最後だった。

◎          ◎

なんとか自分にも通えそうな高校を見つけ入学。

学校側の考えが今までと違い、私は救われた。小学校や中学校の同級生が普通だと思い、過ごしてきた。私は道を逸れてしまったんだと思っていた。それでも自分の中での普通を見つけてきた。そんな自分の普通が高校の教室には広がっていたのだ。

喋り声や大人数が苦手で教室に入れない。そんな時は別の居場所がある。別だからと評価が変わる事もない。周りと比べる必要はない、最初はそんな高校の普通に近づけたらいいという学校のルール。

入学してすぐはあまりの違いに戸惑いがあったし、きついからと休んでしまう事もあった。今でも休んでしまう事はあるし、休む事に抵抗がないわけではない。でも休む事も必要な事だと先生たちは教えてくれた。出来なかった事に目を向けすぎて自分を見失ってしまいそうな時は、出来た事に目を向けてちゃんと伝えてくれる先生だっている。

そんな先生たちのようになりたいという夢を見つけた。

私は世間一般の普通をほぼ経験出来ていないと思う。歩きや自転車で学校に行く。教室に入って授業を受ける。休み時間に友達と遊ぶ。部活をする。きっと他にも自分が気付いていないだけで普通なら経験する事をあまり経験せずにもうすぐ高校を卒業する。

今となっては普通である事がなんだ、そもそも普通とはなんだろう、道を逸れてしまってもいいのではないかと思っている。ただ、自分という道を歩き始め、周りからすると普通から逸れ出した当時はそんなの思えなかった。

ただただ先が不安だった。普通ではなかったから。でもそうならなければ出会う事もなかった人に救われ、夢を持つ事も出来た。頑張り続ける事が全てではない事も普通を経験していないからこそ気付いたと思う。普通で生きてきていたら人の痛みや苦しみなどわからなかっただろう。

◎          ◎

進路を決めずに卒業する私はまた先の分からない生活が始まる。

不安になる時も、心折れてしまいそうになる時も、普通を気にしてしまう時もあるだろう。でも、普通を経験出来なかったからこそ出会えた人から感じたことを大切に、私は私だと自分の普通を探していく。