自分の過去の写真を見ていると、貯金など考えず、ブランドの歴史や成り立ちも考えず、その場の感情だけで悪魔のささやきに従順に買い物をしていた2017年春頃の顔つきがとても輝いて見えた。短大1年の頃だった。
一時の感情にほだされても、流れに身をまかすように生きていればきっと何とかなる。知らず知らずのうちに、そう思っていたんだと思う。

思い返すとおしゃれに興味を持ちだした幼稚園のあたりから、私は浪費傾向にあったと思う。小学生になってもお年玉を貯めるなんてことを考えずに、メゾピアノやエンジェルブルーなどの高級キッズブランドの福袋に使ったり、当時あったスイマーという雑貨屋さんがお気に入りで金額も気にせず買いまくっていた。
高校生の頃は古着にどハマりし、地元や東京、仙台の古着屋さんでその場で一目惚れした洋服を次々に買っていた。私はディープパープルやダークグリーンなどのような深い色合いが好きで、同じような色のチェックスカートを何着も何着も買った。
お嬢様でもないのに。

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今はリアルショッピングに行ってもネットショッピングをしていても頭の中であれこれと考えて、結局買わないという選択をしたり、買ったとしても「本当にこれは必要だったのか……」と後から考えることも多い。
なぜ私がこのようにガラッと変わったのかというと、物質をいくら手に入れても穴の空いた瓶に水を注いでいるようなイメージが頭の中に沸いて、それなら貯金をした方がいいという思いに至ったため。

なんか堅苦しい上に意識高い系のようだけれど、私は物質に、家庭で正しく得られなかった愛を求めていたようだ。
いくら買っても満たされないなんて、それは決して健全じゃない。
このことに気付かなかったら、永遠に新しいものを買っては身につけなくなりクローゼットの奥へ……という一生迷宮回遊ランデブーにズブズブとハマっていたことだろう。

まだまだモノだらけのマイルーム。最近某大手リサイクルショップに大袋いっぱいの洋服の買取をしてもらった。全部で30着くらいか。袋に入れている最中、1着1着の色々な思い出が頭をよぎるも心を鬼にしてさようならを告げた。
買取価格は1890円なり。ブランド物もあったのにな〜と少し残念な気持ちになるも、その日の午後は難病の診察日だったので医療費の足しになってめでたしめでたし。

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貯金を始めたと言っても、私は社会的な扱いでは無職だ。毎月の収入があるわけでなく、精神疾患で2年前から障害年金を頂いている身。貯金額は約50万円。同年代の人から比べたらかなり少ない。ここまで貯めるのにも結構自分との戦いでしんどかった。

これからの買い物との向き合い方は、「デザイン、長持ち、ブランドの理念」を軸に、お気に入りで質のいいものを吟味して長く使うという方にシフトしていこうと思う。その方が満足感も違うし、愛着も湧く。
パーソナルカラーや骨格も、一時的に「商売でしょ」「美人なら何でも合うやん結局」とひねくれた目を向けた時もあったものの、昨年春に骨格診断の資格を取ったことにより、やっぱり「似合う」は大事!と気付いたため、ゆる〜く取り入れていく。

この支配(物質主義)からの卒業。果たして続くのか。
ドーパミンギラギラで、輝いていたように見えるあの春に戻れるのなら、「そんなに買ってもあなたの心は満たされないよ」と、そっと寄り添って手を握って、伝えたい。