講義名は「1杯100円のコーヒー」
大学時代のたった1回の講義が今も胸から離れずに残っている。毎回異なる教授が国際問題に関するテーマで実施するスタイルの講義の1つだった。
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その頃、コンビニを中心に100円で買えるコーヒーが人気を集めていた。実際に私も大学1年生ながら、カフェラテやブラックコーヒーをコンビニでよく買っていた。“安くて、美味しい“は大学生からすると有難くて最高だった。
教授はその講義で言っていた。
私がいつも、安くて美味しくて最高と思って飲んでいたコーヒーは、世界のどこかで労働に見合った給料を貰っていない人が、私より年下の子供が、今日を生き抜くために作ったコーヒー豆から作られていることもあると。フェアトレードがされていないことがあるということ。
教授の話は、衝撃的な内容だった。私が飲んでいた100円コーヒーの裏にはそんな世界があったらしい。
“企業努力“だけで安いのではないと知ってた人は恐らくその時の教室にいた人はいなかったと思う。私も同じ様に何も考えたことがなかったし、当たり前に知らなかった。だから講義のはじめにテーマが投影された時、ピンとこなかった。他の教授は「戦争」「貧困」「格差」等の単語1つで何となく講義内容の想像がついたのに。
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100円コーヒー以外にも生活する上で手にするもの、見るもの、聞くことの裏には、この先も会うことのない人たちの犠牲のもとに成りっていることも少なからずあることを、私はその講義で学んだ。教えて貰えたことに感謝の気持ちが溢れた。
講義の最後に感想を書いて提出するのだが、その日はペンが止まらなかった。講義の内容が、本当に衝撃だったこと、自分の視野が狭すぎたこと、生きていく中で見えない人やモノに対しての意識が低かったこと、この先この事を忘れずにいたいと本気で思ったこと、そして感謝の言葉を綴った。
大学1年生までに出会った大人の中で、こんな世界があることを教えてくれた人は親も含めて誰1人としていなかった。だから、感謝が溢れ出た。
教授から講義後にメールが届いた。「⚪︎⚪︎さんには、僕の伝えたいことや世界のどこかのコーヒー農園の方の声が届いたと思います」
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見えていないモノや誰かが利益のために隠したがっていることは、情報が溢れている社会では表にでることは難しいと、社会人になってからより一層感じている。そしてフェアトレードを知った後も、欲しいモノの生産背景を調べてから買うような生活も、完璧にすることは難しいと感じる。実際に、できていないことの方が圧倒的に多い。教授のことを思い出して“申し訳ないな“と、思うことがある。
だけど、10年近くたった今でもこの講義のことだけは忘れずにいる。忘れずにいられるのは、教授がくれたメールの存在があったからだ。もちろん行動を起こすことに越したことはないが、心に留めておくことも大事だと私は思う。知った後に“できること“から行動する、でいいのではないだろうか。
だからこそ、その“できること“を1つでもするためには、意識的に“知ること“が必要不可欠であると教授は教えてくれた。アルゴリズムによって情報が偏って目に入る時代だけど、自分の意識を働かせてそうじゃない世界をこれから先も私はしっかりと見ていく。