MBTI診断とかHSP性質とかADHD気質とか。
そういった分類がカジュアルにされるようになったのはいつからだろう。

昔から、自分のことを生きづらいタイプなんだなとは感じていた。
違いを明確に感じ始めたのはおそらく大学に入って一人暮らしをし始めてからだと思う。
高校生までは、家族のサポートもあり何となく上手に生きているつもりになっていた。
持ち物の確認も、忘れ物をした時の対応も部屋がどうしようもなく散らかる前の片付けも翌日の服装選びも、今思えばすべて母と一緒にやっていた。母がそうやって未然に防いでくれていたから、自分では気づくこともなかったのだと思う。当時は周囲に普通を擬態していたのだと思う。

大学生になると、自分が欠如している部分にも気が付き始めた。
とにかく忘れ物が多い。持って行っても忘れてくる確率も高い。部屋が片付けられない。周囲と感覚がどこかずれていて、TPOのわきまえ方がイマイチ掴めず浮いた格好をしてしまうこともしばしば。
思いついたらものすごく行動は早いけど、飽きるスピードも速い。人間関係を長く構築するのが苦手で、人との交際も長続きしない。友人に話す近況はいつも違っているので驚かれる。

◎          ◎

仕事を始めてからは、人の心情に敏感すぎることに気が付いた。

同じフロアで誰かが怒られていると自分のことのように胸が痛むし、ドキドキする。ちょっとしたため息や微妙な間にも敏感で、深く捉えすぎる。

「変わってるね」

その一言は、学生の時は誉め言葉だと思っていた。
面白いねともよく言われていたので、自分は特別なのだと思い込んでいた。
変わった自分が好きだった。

社会人になるとその一言は決して誉め言葉ではないとようやく気が付いた。
変わってるねの一言の裏には、「私たちとは違うね」「もっと周りを見なよ」「ほかの人はもっと普通にできるのに…」という意図も暗に含まれているのだと思うようになった。
どうして自分はこんなに変わっているのだろう。どうして人と同じにできないのだろう。どうしてこんなに生きづらいのだろう。どうして、どうして。そう思うことが増えていった。

◎          ◎

近年、若者を中心にMBTI診断なるものが流行り始めた。行動パターンの分類方法で、自分の性格や普段の考え方を16分類するというものだ。
私はINFPと診断された。繊細で心が疲れやすい性質なのだそうだ。
時をほぼ同じくして、HSPという言葉も一般的に流布し始めた。INFPとHSPは非常に相関性が高く、性格診断を読んでいるとかなり当てはまることが多い。
調べると、自分と同じように些細なことで心が疲れて、そんなことで心が疲れてしまう自分自身にも嫌気がさして……という方も多く見つけることができた。

かつ、大人になってから私は自分がADHDの気質があることにも気が付き始めた。多動で注意欠陥。

自分がこれまで悩んできた性質は既に誰かが分類済みのもので、同じ人が多くいるということに救われもした。そういう性質だからもうしょうがないんだというある意味でのあきらめも感じるようになった。

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同じ分類の人たちの悩みを見て、自分だけじゃなかったんだと安心すると同時に、分類されてたまるか!という気持ちも芽生えてきている。
私は私。これが私の個性。
そう少しずつ思えるようになったのには、きっかけがある。

最近私には、心強いパートナーができた。
自分とよく似た性格のパートナーだ。
その人もとても繊細で、一方で自分でもコントロールできないくらいの大きな衝動で行動することもあって、初めて会話したときにすぐに自分と似ていると気が付いた。似ている分、お互いの悩みもよく分かるし、この世界で誰かが痛みを受け止めてくれるということがとてもありがたい。

聞くと、その人もこれまでたくさん生きづらい人生を送ってきたのだという。
私は、不器用で一生懸命に生きているその人のことが大好きだ。
その人の個性を愛するということは、自分自身の個性も愛するということ。
身近な人たちの一見「変わった」個性も愛していけるように。
私は私。まずは自分の個性を認めることから始めていきたい。