2021年3月26日、この日は私にとって忘れられない日となった。その日、私は10年以上会っていなかった父親と再会したのだ。

私が小学3年生の頃に両親が離婚し、私は母親と暮らすことになった。私たちは元々住んでいた家に残ることになり、父親の方が家から出ていった。それ以来、音信不通となってしまい、父親がどこにいるのか、誰かと一緒にいるのか、どんな仕事をしているのか、全く分からなくなってしまった。

10年以上会っていなかった父に会い、私たちはたくさん話をした

両親が離婚した理由を母から聞かされたのが、私が小学校5年生の時だった。その理由が当時の私には衝撃的な内容だったため、私は父親に会いたいという感情がこれまで生まれなかったのだ。

そんな中、私たちが会うことになったきっかけは、成人式の写真を父方の祖父に送ったことだった。お礼の電話が祖父からかかってきて、私は何となく、父親の連絡先を教えてほしいと頼んだ。すると後日、祖父から私の連絡先を聞いた父親から、会いたいという連絡がきたのだ。そして、大学が春休みの間、1泊2日で父親が住んでいる福岡に、私が1人で行くこととなった。

新幹線に乗って新大阪から博多まで行く途中、私の感情の起伏はとても激しかった。まずは何から話せばよいのか、そもそも私と本当に会いたいと思ってくれているのか、そんな心配をしながら、私は新幹線を降りた。改札付近で電話をしながら、無事に再会することができ、久しぶりに会った父は思ったより老けておらず、昔の面影が残っていた。

車で移動中、最近流行りの曲がずっと流れており、私は緊張することなく会話を楽しむことができた。私たちは時間の許す限り、これまでの埋め合わせをするかのように、いろいろな話をした。大学生活や将来やりたいことの話、中学高校で部活は何をしていたのか、好きな芸能人は誰か、アルバイトは何をしているのかなど、これまで私がどのような人生を送ってきたのかを、細かく伝えた。

夫婦円満の家庭で育っていたら、私も「人に頼ること」ができたのかも

しかし、この2日間で私が伝えられなかったことがある。それは「私はあなたのせいで、人に頼ることができない人間になってしまった」ということだ。

母親が一人で何でもこなす姿を見て育ったことと、高校で女子校に進学したこともあり、私の中で、誰かに頼らず生きていくことが当たり前になっていた。そんな私は、大学で出来た新しい友達が、私に何か協力をしようとしてくれた時でさえ、その手を振りほどいてしまうのだ。最近になって、誰かに頼ることは悪いことではないと気づいたのだが、それでもまだ、頼るという行為に少し抵抗があった。

夫婦円満で、協力し合って生活する両親の姿を見て育ったなら、私も人に頼ることができる、可愛げのある子になれたかもしれない。そんな私の悩みを、次に会った時に必ず言ってやろうと思っていた。

しかし、父が笑って、私の幸せを心から喜んでいる姿を見ると、とても言う気になれなかった。私の短所を親のせいにしたいという訳ではないのだが、それでもやはり、育った環境が人格形成に影響を与えることは間違いない。

駐車場で会った男性が、私と父を見て言ったことに嫌悪感を抱いた

そして、あの2日間で、私は一つ引っ掛かったことがあった。駐車場で出会った男性が、私たち二人を見て、「親子ですか?目元が似ているから」と言ってきたのだ。私はその時、なぜか嫌悪感を抱いた。その理由は、自分ですぐに分かった。改札で父を一目見たとき、「目が、私と似ている」と、私も同じことを思ったのだ。

私は両親が離婚した理由を聞かされていたので、父がどれほど最低なことをしたのかも分かっていた。だから、私はこれまで、そんな最低な人間と私に、血縁関係があるということを考えないようにしていた。

しかし、第三者から指摘されてしまったことで、私たちが親子であるという事実から、目を背けられなくなってしまったのだ。私はそれを認めるのが嫌で、その男性に笑顔で返事が出来なかった。

しかし、そんな私とは打って変わって、父は隣で嬉しそうに笑っていた。「目が似ている」そんな何気ない言葉が、私の頭から離れない。私はこれから、あの父親と親子であるという事実を受け止め、生きていかなければならない。

そして、次に会った時には必ず、私が誰にも頼れないということを、伝えたいと思う。