「福島在住」と言ったら、会って数分のおじさんに2,000円を押しつけられた。受け取れないと伝えたのに、哀れみの表情を向けたその人は、私の手のひらにお札をねじ込んで「頑張れ」と言って去っていった。
だから出身地なんて言いたくなかった。「東北」だとつぶやいたら、しつこくその先を聞かれ、つい口を滑らせてしまったのだ。
出身地を言うと度々向けられる「同情の眼差し」が厄介だった
2013年の冬、一時的に北海道に滞在していた時のことだ。大浴場で体をホカホカに温めたはずだったのに、ロビーで会ったおじさんのせいで、体が冷えきったような気がした。
もう金輪際会わないだろう、人生の一瞬の交差みたいな関係の人に、出身地を伝えるリスクを犯すことなど御免だ。フクシマから来た“放射能汚染”として、差別的な扱いを受けることは言わずもがな、度々向けられる同情の眼差しが厄介だったからだ。しかもその眼差しは、いつも、私という個人ではなく“可哀想な被災者”に向けられていた。
会って数分のおじさんとのやりとりでさえ、未だに苦々しく思い出すのに、同じことを友達にされたら、それも何度もされたら、私の心はどれほど傷ついただろうか。
大学1年生の夏休み、マニラでストリートチルドレンを支援する現地のNGOでボランティアを行った。“被災者”として支援される側ではなく、支援する側に立って人の役に立ちたいと思ったからだ。NGOのスタッフに同行し、スラム街で子どもたちと関わる中、シニアボランティアスタッフとして活動する同い年のアーリンと出会った。
現地の言葉はちんぷんかんぷん、英語だけかろうじて話せる私が身振り手振りで必死に子どもたちとコミュニケーションをとろうとする傍らで、“優しくておもしろいお姉さん”のアーリンは、いつも子どもたちの輪の中心にいた。小さな手は、いつも彼女の手を握ろうと競い合っていた。
とっさに声をかけた。子どもと接するヒントを得たかったし、とにかく同世代の学生が職場に来ていたことが嬉しくてたまらなかったからだ。ボランティア先の職場のスタッフはみな優しく、私を気にかけてくれていた。だが、初めての単身海外で言いようのない孤独に苛まれていた私は、気兼ねせずコミュニケーションがとれる相手を心底欲していた。
アイリーンはかつて支援を受け、青空教室に参加する子供の一人だった
アーリンとは様々な話をした。ストリートチルドレンの間で蔓延しているシンナーをどう止めさせるか、宗教上避妊がしにくい状況で若い女性の望まない妊娠をどう防ぐか、貧困について何も知らない中流家庭で育った、しかも豊かな国からきたボランティアに対する本音など、聞きたいこと、話したいことはいくらでもあった。
ボランティアをする動機についても話は及んだ。アーリンは、同上のNGOから食糧や衛生用品の支援を受け、青空教室に参加する子どもの一人だった。雨風も防げない高架下で、ハエにまみれながら、家族で体を寄せ合って路上生活をしたこともあったという。ここ数年は、貧困層向けに小分けの生活用品を販売する小さなお店を家族で経営しており、生活は多少安定したそうだ。
だが得られる収入は、8人の大家族が生活していくにはやっと。一日に一食しか食べれない日もあるという。大学は、海外のドナーからのサポートを受けてなんとか通っている。忙しい時間をぬって、「一生懸命頑張れば大学にだっていけること」を小さい頃の自分のような子どもたちに伝えたいと、学校帰りにボランティアに参加している。
そんな身の上を聞いた私は、頑張る彼女に少しでも“良い思い”をしてもらおうと心に決め、遠慮する彼女をデパートに誘った。一通りウィンドウショッピングを楽しんだ後、私は満面の笑みで欲しいものはないか尋ねた。
「何もない」と答える彼女に対し、物を持ち帰ることに消極的ならばと、最上階にある行きつけのマッサージ店に連れて行った。「なんでも好きなコースを頼んで良い」と言ったが、再度彼女は首を横に振った。最終的に彼女の希望で、ファストフード店でコーラだけおごった。
「これだけでいいの?」と何度も聞いた。その後も私は、奢る機会を何度も探った。ある日、決定的なことが起きた。帰国の5日前、共通の友達と3人でカラオケに行った時のこと。個室のカラオケは、150円で外食が出来る現地の物価からすれば割高。2時間歌って、700円かかるとのことだった。楽しい時間は一瞬で過ぎた。終了時間の5分前、トイレから戻ると会計は済まされていた。狐につままれたようだった。貧しい友人のカラオケ代金を私が支払うのは当然のことだ。納得のいかない私にアーリンは強めに言った。「いつもおごられるのはフェアじゃない。私たちは友達なんだよ」。
目の前にいる人間をラベル越しに見て、誰かの尊厳を傷つけてないか?
帰国の朝、私の携帯に「家の手伝いが忙しくて、もしかしたら会えないかも。ごめん」とメッセージが入った。アーリンからだった。会いたい気持ちは山々だったが、自分のしてきたことを考えると口をきくことさえためらた。
諦めてボランティア先が準備してくれたワゴン車に乗り込んで、空港に向かおうとした時だった。猛ダッシュしてNGOの門をくぐるアーリンが見えた。「遅くなっちゃった。たいした物買えなくてごめんね、寂しくなるよ」。遠慮がちに差し出されたココナッツジュースを前に、目頭が熱くなった。“貧しい”アーリンに、上から目線で独善的に振る舞っていた私は、まだ彼女の友達だった。思わず、半泣きでハグをした。
あのおじさんが善意でお金を差し出したことには疑いの余地がない。それにもかかわらず、私にこみ上げてきたのは不快感だった。もし友達に同じことをされたら、自尊心が踏みにじられる思いがするだろう。
帰国後「支援って一体何だろう」、そんな思いでホームレスの支援団体の活動にお邪魔した。ホームレスの人々に味噌汁とおにぎりを渡すため、上野駅周辺を練り歩いていたらスーツでびしっときめた男性に出会った。衝撃的な姿だった。「ホームレスだからって、汚くしている必要はないだろう」と、きっぱり言う男性は堂々としていた。
“被災者”、“ホームレス”…。時々私たちは、目の前にいる生身の人間をそのようなラベル越しに見てしまうことがある。このような見方が誰かの尊厳を傷つけてはいないか。このことを思い出させてくれる友人のアーリンに、いつか直接「ごめんね」と「ありがとう」が言いたい。