私の一番初めの記憶は、父と最後に会った2日後からだった。初めての川で、家族みんなで澄んだ冷たい水で桃を洗って食べた。そこに父はいなかった。私は父の顔も、温かさも、声も覚えていない。私が父のことを何と呼ぶのかも、私は知らない。

この秋、私は二十歳になる。18歳が成人と定められた昨今でもやはり、20歳は本格的な大人への仲間入り、節目の年のような感じがする。

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ずっと、分からなかった。父に会いたいのかどうか。会って何のメリットがあるのかなんて今でも分からない。今まで父がいなくて困る事なんてなかった。でも、周りの友達が父親といるのを見ると少し、寂しいような悲しいような何とも言えない不思議な気持ちになった。
会ってみることで、より苦しくなるかもしれない。「ない」ことは「なくなった」こととは全く別だから。

怖い。なくてもいいものはない方がいいものかもしれない。多くを抱えれば抱えるほど、荷は重くなるかもしれない。でも、やっぱり父のところへ行こうと決めた。一度会わなければいけない気がした。

私にとってはたった一人の人だから。いつかいつかと後回しにして、会いたいと思った時、もし父が亡くなっていたら。きっと私は一生後悔する。それならば会って後悔する方がよっぽどいい。

親子感動の再会になんてならないだろう。父は母を愛していただけであって、私を愛したわけではない。母は私を愛して、私を愛さない父を愛さなかった。そして、私は愛している気持ちさえ知らない。

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なんていって会いにいけばいいんだろう。なんと呼べばいいんだろう。何を話せばいいだろう。お父さん、パパ。みんなが当たり前のように口にする言葉が私にとってはむず痒くて仕方ない。20年の間にあったことなんてたくさんありすぎるのに。話したいことがあるのは、相手のことを知っているからだ。どんな話題がその相手と盛り上がるか、楽しいか知っているからだ。私は何も分からない。きっとも話せない。

もしかしたら、私のもう1人の祖父母にも会うのだろうか。みんなには祖父母が2人ずついると初めて知った小学生の時はびっくりしたな。みんなにとっては、お母さんが2人いると言われた時の衝撃と同じようなものだろう。

祖父母が2人ずつということがわかっても、中学の時、父方、母方なんて言葉も知らなくて、友達と話す時、苦労したな。常識を知らないみたいで本当に焦った。祖父母は私の父だけを愛していた。母も私もどうでもよかった。

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どこも一方通行で混じり合うところなんてなかった。どこか一つでも交われば何かが変わっていたのか。私が父に会って何かが交わった時、良い方向に変われば良いな。今更みんな一緒になんて思わないけれど。たった一度だけでも、父に会って話ができたら。私は完全に母親似だけど、ああ、この人とは血がつながってるんだと思える何かがあればいいな。そう思いながらあと数か月、不安と期待を抱えて最後の十代の日々を過ごしている。