白黒つけたい性格だ。人間関係に対してもそういう傾向がある。学校の卒業など、円満な別れの時には、仲の良い友達やお世話になった先生に感謝の手紙を書いた。もう二度と会いたくない元彼には絶縁状を書いたこともある。とにかくはっきりさせたい性分だ。

そんな私にも、一人だけ、はっきりさせなかった別れがある。高校時代の恩師との別れだ。厳しい先生だが、頑張る生徒にはどこまでも惜しみないサポートをしてくれる、生徒思いの先生だった。その思いはちゃんと生徒にも伝わっていて、その先生は多くの生徒に慕われていた。私もその一人だ。

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高校時代、私は持病の経過が悪く、遅刻、早退、欠席を繰り返していた。入院も1回2回ではない。授業を休むと勉強が遅れる。かなりの負けず嫌いだった私は、その遅れを病気のせいにしたくなかった。寝る以外の時間は、常に勉強のことばかり考えていた。慢性的な症状のある病気は、具合が良くなるのを待ってはいられない。私は、工夫と努力で「具合が悪くても勉強する技」を身につけた。今振り返れば、それは技というよりは根性だったけど。

そんな私を、その先生はずっと応援してくれていた。担任ではなかったが、よく声をかけてくれ、私の話を聞いてくれた。休み時間も休日も私のために時間を割いてくれ、それは明らかに「先生の業務」の範囲を超えていた。私はそれに大いに救われた。学校を卒業できたのは先生のおかげだし、具合の悪さから精神的などん底を見た私からすれば、今生きているのだって先生のおかげだと言える。

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卒業後も連絡を取り続けていて、ランチなどにも行った。先生は相変わらず私の話をよく聞いてくれた。しかし、だんだん違和感を感じるようになってきた。実際に会って話しているときは楽しいのに、家に帰って時間が経つといつもモヤモヤする。気分が落ち込むというか、自己肯定感が下がるというか。馬鹿にされているわけでもなく、親身に話を聞いてもらっているのになぜだろう。長い間悩んだが、つい最近、ひとつの答えが出た。それは、「私ばかりが話しているから」だ。強要されたわけではないけれど、一方的に自分のことをさらけ出していることにモヤモヤしたのだ。先生のことを聞くといつもはぐらかされていた。先生が悪いのではない。卒業してもなお、「先生と生徒」の関係を抜け切ることはできないのに、私がそれ以上の関係を望んでしまったのだ。

それにしても、このモヤモヤした関係はお互いのためにも良くない。自分のエゴで先生を嫌いになる前に離れなければならない。

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「別れの時かな」

そう思った。しかし、大好きで尊敬している相手だけに、白黒はっきり「さよなら」というのはつらかった。

これが私史上初めての「さよなら」を言わない別れ。先生が私の母校から異動となるタイミングで会いに行き、心の中では「もうこれが最後」と決めた。私から連絡するのもやめた。以前は先生の方から連絡が来ていたりもしたが、当時はすでに、私から連絡しても返事が返ってくることの方が珍しくなっていた。忙しい人なのはわかっていたが、私の心はすり切れていた。

連絡を絶ってから三年経つ。はっきりとしない別れだったけど、私の心は不思議なくらいすっきりしている。別れの言葉のない、静かな「さよなら」だった。