高校時代、私は学校を一度辞めている。
3年生の12月、私はそれまで通っていた公立高校から通信制の私立高校へ移ることになった。手続き上は転校だったものの、気持ちとしては退学したようなものだった。

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「こじまさんは家庭の都合で学校を離れることになりました」と担任の先生は教室で説明したらしいけれど、それは表向きの理由だ。家庭ではなく、完全に私の都合だった。

夏休み明けの9月から不登校状態が続いていた私は、定期的に親共々学校に呼び出された。担任のほか、学年主任や教頭先生までもが同席して、たくさんの大人たちが私を説得しようとした。「また学校に来てほしい」「もう少しで卒業だから」と。
しかしどれだけ諭されようと、私の気持ちは変わらなかった。もう、どうやって教室に行けばいいのかすっかりわからなくなっていた。

学校が嫌、というよりも、学校を含め、自分を取り巻くすべてのものと対峙する気力がまるでなくなってしまった。
ひとつひとつの理由はきっと、大したことがないのだろう。教室にいまいち馴染めないだとか、両親が連日言い争っている家にいたくないだとか、進学校の空気に呑まれて国立大を志望校に設定して受験勉強を始めたけれど、まるで真っ暗な霧の中を歩いているみたいだとか。いま考えれば、どれも取るに足らない理由だ。よくあることといえばよくあることだ。

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それでも私の心はぽっきり折れてしまったし、一度折れた以上元通りに修復するのは難しかった。ただの逃げだと言われればきっとそうなのだろう。自分の心が弱いことは自分が一番理解しているから、否定はしない。

卒業まであと少しということはもちろん私もわかっていたから、わざわざ他の学校に移らなくてもいいんじゃないかと思っていた。国が設けている高卒認定試験に合格し、高校卒業と同等の認定を受ければ大学受験自体は可能だ。けれどそれは母に制された。「高校はちゃんと卒業したほうがいい」と。母と話し合いをするのも面倒で、結局言われるがまま転校が決まった。

転校する場合、普通は教室でお別れの挨拶をするのだろう。けれど私は、不登校状態から一度も登校することがないまま、学校を離れた。

時間も季節もあっという間に移ろい、外では桜がぽつぽつと咲き始めていた頃。
通信制の高校を卒業してから、数週間後のことだった。自宅に、1通の封筒が届いた。軽いけれど、ほんの少し厚みがあった。裏返して送り主を確認し、少し驚く。それは転校前、同じクラスだった女の子からだった。

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彼女とは、たまたま3年間ずっと同じクラスだった。
といっても、特別親しかったわけではない。学校で行動を共にしていた友達はいつも違っていたから、日常的に話す機会はそこまで多くなかった。明るく元気でそのうえ可愛い彼女はいつだって教室の中心にいるようなタイプの女の子で、どちらかといえば日陰側の私にとっては眩しい存在だった。

封筒の中身は、1枚の便箋とDVDディスクだった。
DVDディスクには卒業前にクラスで製作した記念ムービーが入っていること、2学期の始めに突然私が学校に来られなくなって驚いたことなどが便箋に綴られていた。

気を遣わせちゃったのかもしれないな、と申し訳なさを覚えつつも、それでも直筆で綴られた彼女の言葉たちは直接心に届いた。
ただ、DVDだけはすぐには観ることができず、引き出しの中にしまい込んだ。教室から逃げ出した自分に、それを再生する権利なんて無いんじゃないかと思った。再生ボタンを押す勇気も出なかった。

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再生ボタンを押せたのは、そこから半年か、1年かが経った頃だったと思う。
わざわざ自宅まで送ってくれたのに、観ないままで本当にいいのかという気持ちが胸の中でずっと燻っていた。

「あれからもうずいぶん時間は経っているから」「過去のことだから」と鎮めるように言い聞かせながら、ディスクをDVDデッキに滑り込ませた。

誰かが撮った日頃の教室の様子や、文化祭で披露する劇の練習風景、将来の夢を語るクラスメイトたちの姿……それらが写真や動画を通して繋ぎ合わされていた。

ムービーを観ても、嫌悪感は湧かなかった。
そもそも、クラスメイトは誰1人として悪くない。悪者はどこにもいない。上手く心を開けなかった私が、ただ勝手に苦しくなって勝手に思い詰めてしまっただけ。時間が経てば経つほど、当時の状況を冷静に分析することができた。

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便箋には、こうも綴られていた。
「理由は言わなくても大丈夫。どんなことがあっても味方だからね」
「一緒に卒業式は出られなかったけれど、まりも◯組の一員っていうことは忘れないでね」

最後の1文「また必ず会う!!よろしく!!」には、思わずふっと笑いそうになってしまった。屈託のない彼女の人柄が、たくさんの「!」からそのまま伝わってきたような気がした。

誰に何を言われたわけでもなく、すべて彼女の正直な気持ちで綴られた文章なんだと思った。肌感覚でしかないけれど、私はそう受け取った。

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高3の頃の出来事に関しては「もし学校に行き続けることができていたら」とふとしたときに考えてしまう。教室でさよならを言えなかったからこそ、そして例の彼女のまっすぐな言葉に後々触れたからこそ、叶わぬifをつい想像する。

でも、さよならを言えなかったからこそ、「バイバイ」や「元気でね」ではなく「また必ず会う」と彼女は最後に記してくれたのかもしれない。そう思うと、暗い記憶だらけの高3の自分が少しだけ救われたような気がした。都合よく解釈しているだけなのかもしれないけれど、あの頃の私からいい加減脱したかった。人のことを、人の言葉を、信じたかった。

もう、あの頃のように目の前の現実を身勝手に放り出すことは二度としたくない。
私も、また必ず彼女と会いたい。そして直接お礼を言うんだと決めている。