たった4文字。「おはよう」が言えなくて2ヶ月が過ぎてしまった。

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あれは大学1年生の春学期のことだった。私の大学では1年生から週5コマの必修授業がある。毎日顔を合わせるため、当然新入生はみなすぐに意気投合する。ゴールデンウィークが過ぎる頃には、家族みたいな結束感を醸し出していくのだ。

そんな周りの新入生が人生の春を謳歌している中、私はただの傍観者であった。誰も私に話かけてこない。私も誰にも話しかけられない。ただ黙って大学に行き、黙って授業を受け、そして黙って帰宅する。

一日の中で話すことといえば、これまた一人で学食に行ったときの、「うどん大盛で」「あいよ」という学食のおばちゃんとのひとラリーだけ。こんなに孤独を極めて落ち込んでいるのに、うどんを大盛にするほど胃袋は元気なのだと自分でも不思議だった。

これでも何度も話しかけようとチャレンジしたのだ。人間関係の基本は挨拶からだというし、教室に入るときに、今日こそ笑顔で「おはよう」と言うのだと。なのに、教室に入り既に盛り上がっているクラスメイトを前にすると、喉の奥で用意していた「おはよう」が舌先で迷子になり、カラカラになった口から発声される前に、喉の奥へとUターンする。

授業中プリントを回してもらったときも愛想よくしようと、これまた笑顔で「ありがとう」と言おうとする。しかし、クラスメイトと目が合った瞬間にどきどきして「ありがとう」が「あ、ああ、あ、」と続かず、ちょっと積極的なカオナシのようになってしまうのだ。

挨拶もしないちょっと積極的なカオナシなんて不気味すぎる。結果、クラスメイトの皆がすっかり打ち解けて、ファミリー感すら醸成する中、私は独りぼっちになってしまっていた。

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ここで重要なのが、私はこのような人見知りタイプの人間に生まれついたわけではなかった。むしろ小学生から高校生に至るまで、「はじめまして特攻隊」と言われたことがあるほど、はじめましての人へも臆せず話しかけていた。友人も多く、人間関係の中心にいるようなタイプであった。

そんな社交的だった私を変えたのは計4年間のひきこもり生活であった。大学受験浪人期の19歳で発症した双極性障害。そして、病状の悪化とともに19歳から23歳までの計4年間を、自分の部屋のベッドに閉じこもって生活していた。クラスメイトのみなは正真正銘の1回目の1年生であったのに対し、休学し引きこもっていた私は、1年生も3回目であった。

4つ下の高校卒業したてのクラスメイトはみなキラキラしていて、そんな彼女らと比べると自分はとんでもなく屈折していた。誰とも喋らず、毎日ただひたすらYoutubeのお笑い動画と2ちゃんねるのまとめサイトを見ていた4年間のひきこもり生活は、私に朗らかさを失わせた。友達の作り方なんて忘却の彼方であった。

クラスメイトが怖かった。嫌われるくらいなら独りでいた方がましかとも思っていた。「あんな能天気そうな苦労知らずのやつらと分かり合えるか」と昔からの友人にはこぼした。大学から帰ると、母や父はいつも私の体調を気遣ってくれ、「今日はどうだった」と聞いてくる。独りぼっちだというと心配かけてしまうかもしれないので、捏造した友人の捏造した笑い話を語って聞かせた。本当は「独りぼっちは寂しい」という自分の本音には、気づいていたのに。

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そんな生活が2か月続いた。初夏にさしかかり、誰とも話さない毎日が続いていたので、諦めかけていたある日、奇跡は起こった。

「あのう、まよさん……でしたっけ?」とクラスメイトのCさんが話しかけてきたのだった。いつも私の固定席の前に座るCさんは、カオナシ状態の私に笑顔でプリントを回してくれている人だった。

「はい!まよです!」突然話しかけられ、緊張でバカみたいな声量で自分の名前を宣言する私に、それでもCさんは笑いかけてくれた。
「あの1年生を何回かされているということで、今度の定期試験の過去問とかって持っていませんか?」

あの瞬間ほど、モノを片付けられない/捨てられない自分に感謝したことはないだろう。持っていたのだ、1回目のときの過去問も、2回目のときのも。そう伝えると、Cさんは顔を輝かせて「じゃあぜひLINE教えてください!」とスマホを差し出してきたのだ。2か月夢にまで見たLINE交換。「ぜひ!」と答える私の手は少し震えていた。

CさんのLINEのQRコードを読み取る。すると、ポップアップして出てきたアイコンは、なんと私のアイコンと同じキャラクターだったのだ。「え!すごい!」「おそろいだ!」と私とCさんは同時に声を発した。「〇〇好きなの?」「うん好き!」「私も!」と自然に話のラリーが続く。最高記録だったうどん大盛のひとラリーが、がんがん更新されていく。

LINEを交換しただけでも奇跡みたいなのに、なんとアイコンまでお揃いという奇跡、そこから話が続いて今度遊びに行こうだなんて話が膨らむなんて、夢を見ているみたいだった。その夜、今日の大学の様子を聞いてきた父と母に、入学してから初めて本当にあった話をした。捏造した話はもう必要なかった。

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大学を卒業して3年が経つ。Cさんは、今でも一緒に旅行に行ったりする、私の最も親しい友人のうちのひとりだ。そのCさんは「あの明らかに陽キャな見た目をしていて、濃いフルメイクをしているのに、何も話さないまよは何者なんだって、みんな噂していたよ」と笑いながら当時の私を振り返る。せめて舐められないようにと毎日必死でメイクしていたのが、裏目に出たらしい。

結局大学生活で友達は5人しかできなかったけれど、友達は量より質だということを知った。その後人見知りを卒業し、再び厚かましい人間デビューしたが、人見知り側の心境を知れたことも悪くはなかった。

そして何より、あのアイコンお揃いの奇跡。思い出す度、信心深くない私でも多方面に感謝したくなる。

こんな私の人見知り奮闘記でした。