学生の頃は毎日に予定があることが充実さを測る定規だった。だから私はアルバイトを2.3コ掛け持ちしてバイトと遊び、大学の講義が私の毎日を構成していた。
刺激のない日々を過ごす私とって、海外旅行はパワーチャージになった
社会人になって、土日休みになり、週末は友人と食事に行くか、合コンに行くか、家で映画を観て、大型連休には毎年海外に飛び立った。
年に一度のパワーチャージ。毎日楽しくもない仕事をして、刺激のない日々を繰り返す私にとって、年に一度、海外に出かけた時は全てを解放する時間だった。
いつもは食べない豪華な食事、日本ではできない格好をして、朝早くから夜遅くまで、その土地を満喫する。そんな私にとってのデフォルトが崩れた。そう、コロナの影響だ。
2014年から毎年一カ国は新しい国に出向き、そこで新しいものに触れる。海外の良さはもちろん、日本の良さを、日本での当たり前が当たり前ではないと再確認させてくれる機会として。加えて、強制的に英語を使う事ができるため、毎年の恒例になっていた。
5年間続けてきたものが自分の意思とは別の外部の影響によって中止にされた。最初は"海外に行けないなんて信じられない!""生きていけるかな?"などと思っていたが、どう足掻いたってこの状況は変えられない。
自分の予想とは裏腹に、意外にもすんなりこの状況を受け入れられた。
心に響いた動画と出会い、自粛中に少しでも成長しようと思えるように
一回目の緊急事態宣言が発令されたタイミングで、とある動画に出会った。
それは「このコロナ禍でみんなが足止めを食らっているように見えているが、コロナが終わったときに差が出てくる。自粛中にいかに自分のためになる行動をできたかがその差に影響する」
私は世の中の不条理さが大嫌いだった。そして、いつも今のヒエラルキーから抜け出したいと考えていた。そんな私にとって、この言葉は刺さった。
「この、みんなが足止めを食らっている時に少しでも成長しよう!」
そう思えた。だから私はこの後の行動マインドを決めた。
「コロナのせいで出来ないことももちろんあった。でも、コロナのおかげで出来たこともあった。と思える期間にしよう」
そう決めたのだ。だから私はまず前から時間があったらやりたい、と思っていたことをやり始めた。
そんな大したことではない。早起きの習慣とか、家事の手伝いとか、溜まっていた写真データの整理、アルバム作成とかそんな小さな事から、母との時間を大切にしたり、いつもは海外旅行をしてしまうところを国内旅行に変えて日本に目を向けた。
すると日本の知らないことがどんどん出て来て思いの外、刺激になった。
あとは苦手な本を読む目標も設定した。本を読んで勉強して、様々な知識を得ようとした。
すると、自分の関心がどういったものに向けられているのか発見でき、知識を得ることが、本を読むことが好きになった。
ヒエラルキーアップのため投資の勉強もした。今まで、「時間がないからできない。」と言い訳できていたが、ステイホームではその言い訳が通用しない。
いつかこの自体が収束したときに、みんなで言いたい合言葉がある
コロナは休日どころか、日常を変えた。
休日は思い切り遊びに行けないし、行けたとしてもマスクと同行しなくてはならない。
もちろん海外旅行で全てを解放することはできないし、合コンに行って新しい出会いを探すことも、頑張った同僚の送別会も、友人の結婚式に参列することもできない。
自分の誕生日も毎回、緊急事態宣言中で味気ない1日を過ごすことがもはやデフォルトになりつつある。そんな日々を誰しもが想像していなかったし誰も望んでいなかった。でも私たちはこの通常ではなくなった日常を、これからもしばらく日常として過ごさなくてはならない。
できないことを嘆くのは簡単だ。でもそれで自分を追い詰めてしまうことは良くない。
月並みかもしれないが、この状況だ。自分たちの手でどうしようもないことに、いつまでも目を向けるのではなく、この状況下で自分は一体何ができるのか、どんなことでもいい。
何をしたらコロナ期間も悪くなかったと自分が思えるのか、考えて、行動すべきだと思う。
そして、この事態が収束したときにみんなで口を揃えて言いたい。
「コロナのせいでできないことももちろんあった。でも、コロナのおかげで出来たこともあった。と思える期間だった」と。