中学二年生、先輩がもうすぐ卒業する季節。クラスの女子の話題は「誰に第二ボタンをもらうか」「どうやってどのタイミングで話しかけるか」が中心となっていた。私もそのうちの一人だった。
人見知りで緊張しい、容姿にも自信がなく、先輩との繋がりも薄い私は、第二ボタンをもらう自分を想像できなかった。そういうことなので、先輩トークに参加しドキドキしながらも「どうせもらいに行く勇気もないし」と思っていた。

本当は一生に一度のときめきに憧れがあるくせに「私は話しかける勇気ないしいいよ」と、一緒にもらいに行こうと言う仲の良い友人二人の誘いを断った。恥ずかしい思いのほうが強かった。

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卒業式当日、それぞれが部活の先輩と写真を撮ったり思い出に涙したり、私も送り出す側として人並みに楽しんでいた。写真撮影も落ち着いてきた雰囲気のころ、数名の女子が行動をはじめた。憧れの先輩のもとへ行き、写真をお願いし、ボタンをもらい、「キャー」と言いながら走って戻ってくる。

青春だな、楽しそうでいいな。勇気のない私はただ眺めているだけだった。そのとき、同じ部活の友人が「私も行きたいから一緒についてきて!こんな機会ないし絶対思い出になるから!」と私の手を引っ張り先輩のもとへ歩き出した。私はきっと、まんざらではなかった。

どうしよう、なんて言おう、どんどん鼓動が早くなる。頬も熱くなる。
どう話しかけどうお願いしたかはっきり覚えていないが、今でも実家の部屋にボタンと、一緒に撮った写真がしまってある。心臓の音が先輩に聞こえるんじゃないかという緊張の中で、私はボタンをくださいとお願いし、写真までも撮ることができたのだ。嬉しかった。

先輩は卒業したが、在校生はいつもの学校生活に戻る。青春の卒業式を終えて、女子たちは現像した写真を配ったり、ボタンの話で盛り上がっていた。私も卒業式のドキドキを残したまま、浮かれた会話に参加しようとしたが、なんだか様子がおかしい。

卒業式前に、ボタンをもらいに行こうと私を誘ってくれたあの二人に、無視されている。すぐに理解した。誘いを断っていたくせに、当日ちゃっかりボタンをもらった私が矛盾していて腹立たしいのだ。

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自分がしてしまった能天気な行動を悔いた。しかし謝ろうとしても逃げられる。中学生の嫌悪感の表し方は残酷だ。避けられ睨まれ、私を見ながら二人でこそこそ話している。クラスで二人と特に仲が良くいつも一緒に行動していた私は、一緒に行動する人がいなくなり、かといって他の女子グループに溶け込む勇気も自信もなく、あっという間に孤立した。

休み時間は一人を痛感して辛いだけだから早く授業の時間になってほしかったし、移動教室も給食も一人で黙々と済ました。時間が経てば、三年生になってクラスが変わればきっと大丈夫だと思うしかなかった。
それでも中学二年生の私にとって、仲の良かった友人に無視されることは辛く、残り少ない登校日も行きたいと思えなかった。もう少し広く人付き合いをしていて友人が多かったら、二人に無視されただけで学校に行きたくないと思うことはなかったかもしれないけど。

結局、授業は休みたくないし、部活動は好きなので、孤独に耐え時間が過ぎるのを待ちながら残りの二年生を過ごした。三年生になりクラス替えがあると、クラスの雰囲気が変わるし、他の子とも仲良くするようになり、無視されることが目立たなくなっていった。

こうして、青春が起こした数週間の孤独期間は幕を閉じた。

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あの春に戻れるなら、私は先輩のボタンをもらうだろうか。
誘ってくれたあのとき、素直に「私も一緒に行きたい」と言えていたら、きっとニ人を怒らせることはなかったし、ニ人の目を気にして先輩にボタンをもらいに行かなければ、無視されることはなかったと思う。人並みの卒業式を平穏に終えたことだろう。

あれから十五年近く経とうとしているのに、自分の矛盾した行動を今も後悔している。
後悔しているのに、しまい込んでいるボタンと写真が、私の青春であり、ときめきを思い出させてくれるから、後悔していない。また、矛盾。

あの春に戻れるなら、私が二人を誘って、先輩のもとへ走ってみようかな。