春が来て、袴姿の大学生を目にするたびに、「かわいいな」「おめでとう」と思うとともに切なさが心を掠め、ちょっと涙が出そうになる。私は彼女たちのようにきれいに袴を着られなかった。
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卒業式の袴は、衣装代、着付け代、ヘアメイク代諸々を含めると安いものでも6万円近くする。親も私も卒業式の1日のためにその大金を出すことは難しかった。袴姿で卒業式に出席することに幼少から憧れていて、どうしても諦められなかった私は、メルカリで安い着物と袴、帯や靴、小物を買い、自分で着付けるという選択をした。
YouTubeを見ながら着付けの練習をし、ヘアセットも何回も練習をした。卒業式が終わったらすべてをメルカリで売り、最終的には4000円程度で袴を着ることができた。素人クオリティの着付けと髪型、質の低い衣裳だったが、一応憧れを叶えることはできた。
「なんだ、結局袴を着られたならいいじゃない」と思う人もいるかもしれない。だが私は、購入から練習、当日まで、すべての工程で切ない気持ちだった。友人との会話やSNS投稿で、袴を決めたという話や、卒業式の前撮りをしたという話を聞く度に悲しかった。
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「着るか着ないか」という問題ではなかった。授業料全額免除で大学に通い、ゴキブリやカメムシが出る格安の家に住み、アルバイト代と奨学金で生活費をまかない…というように自力で頑張ったのに、卒業式でちゃんとした晴れ着を着ることができないという事実がつらかったのだ。親に学費や生活費を払ってもらっている子たちは、卒業式の晴れ着代も当たり前に親に出してもらっている。
もちろんアルバイトで稼いだお金で袴代を出している子もいたが、彼女だって生活費や学費は親の世話になっている。もちろん、彼女たちの親が当然の愛としてそうしているだけであり、それは本当に素敵なことだから、ひがむつもりは全くない。
ただ、彼女たちを見ているとより自分の境遇がみじめに感じられて切なくなったのだ。「高校を出てすぐ働かずに進学することを許された立場で、晴れ着を着たいと思うこと自体が贅沢だ」「成人式で振袖を着たのだから」「なんだかんだ言って袴は着られるし」「これもいつか、いい思い出になるよね」と必死に自分を納得させ、複雑な思いを抱えながら卒業式に出席した。
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数年経ったいま振り返ると、自分で一から着付けをしたことで、和装に対する知識が多少つき、休日に着物や浴衣を着たり、茶道を習ってみたりするようになり、多少楽しみの幅が広がった。でも、だからといって、自分で袴を着てよかったとか、あの経験が糧になったとか、そういう風に自分を納得させることはもうしないでいようと思う。
だって今も、卒業シーズンが来るたびに当時の切なさを生々しく思い出すのだから。だからこそ、当時の私には「残念ながらいい思い出にはならないよ」「3年経ってもまだ悲しいんだから、いま悲しいのは当たり前だよ」「無理に意味を持たせようとしなくていいんだよ」と伝えて、ただ一緒に悲しんであげたい。そして、その言葉をいまの私にも繰り返し言い聞かせたい。