すれ違う人みんなが私の名前を知っている、そんなド田舎で私はうまれた。
私が当時遊んでいた相手といえば、近所に住んでいたおばあちゃん。保育園に通ってはいたけれど、ド田舎の家同士は近いといえど遠く、同級生とは気軽に会えるような距離ではなかったからだ。
それに比べておばあちゃんの家は子供の足でも徒歩10秒くらいの距離で、更に家族ぐるみでの付き合いだったため、おばあちゃんの家に行ってくる!と言って気軽に遊びに行けた。
おばあちゃんは天気のいい日はよく縁側に座っていて、玄関から入らずとも庭にまわると笑顔で出迎えてくれた。
遊ぶと言っても、さすがに一緒に走り回るわけではない。未就学児であった私が、年相応に保育園であったことをべらべらと話すのがほとんどだったと思う。誰々ちゃんが誰々くんを好きだとか、誰々ちゃんのことが嫌いだとか、そんな話を笑顔で聞いてくれた。
そういえば、たまに庭で歌や踊りを披露したかもしれない。バタバタとひとり騒いでいる私をただ温かく見守っているおばあちゃんの記憶がある。
そんな時間が大好きだったし、おばあちゃんのことも大好きだった。
◎ ◎
それがいつからか、“おばあちゃんと仲良くしている自分”が恥ずかしくなって、会いに行くのをピタリとやめてしまった。
そのうち親の都合で引っ越しが決まり、お別れも言わないまま、その町を離れた。町には祖父母が残っていたため、何度も再び訪れる機会はあったのに、おばあちゃんには一度も会いに行ったことはない。
気づけば私は中学生になった。
夏休み真っ只中だったその日、部活から帰ってきた私はおばあちゃんが危篤であることを耳にした。私が部活から帰ってくるのを待っていたらしく、私が帰ると直ぐに家族みんなでその町に向かうことになった。
片道2時間。おばあちゃんと話せることはなかった。
あの縁側に面した部屋で、おばあちゃんは横になって、顔には白い布が掛けられていた。
お別れの挨拶をと布をとる母だったが、私は顔をまともに見られなかった。
樒(しきみ)の葉でそっと唇を湿らせるとき、ふと見たその顔は穏やかなものだった。
◎ ◎
10年近く経つだろうか。今も、文字を綴りながら号泣する程には悲しく、恋しい。
ひとこと、ありがとうを伝えたかった。
大きくなった姿を見せたかったし、今の友達の話もしたかった。
もしあの日部活に行ってなかったら、話せていたかもしれない。
もし前回訪れた時に会いに行っていたら……。
言えなかったことも、後悔もたくさんある。
今ではもう声も思い出せないし、顔もぼんやりとしか浮かんでこない。
はっきりと思い出せるのは、あの縁側に座るおばあちゃんの姿。
いつでもその姿を見られると思っていたあの頃の自分に伝えてやりたい。
周りの目を気にするよりも、もっと大切なことがあると。