何も考えずに教育学部のある大学に入り、当たり前のように教員免許をとった。
でも教師にはならなかった。

教師の道を選ばなかったのに、深い意味はまったくなかった。
ただ、「レールから外れてみたい」そう思っただけだ。

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私は教師をする両親に育てられ、どこに行っても「教師の娘」だった。
気づけば、将来の夢を聞かれるといつでも「先生です」と決まり文句のように答えていた。
教育に携わる両親を小さいころからずっと見てきたし、私にとって身の回りの大人といえば両親か学校の先生だけだったから、自然とその選択が自分にとって正しいように思えた。
子供と触れ合うのは好きだったうえに、実際にバイトや大学での教育実習を通して、教えることの楽しさを実感し、自分にはこれがあっているなという感覚は確かなものになった。
だから私には、教師になるというレールが最初から敷かれていた。

何かきっかけがあったのか、なんでそう思ったのかまったく記憶にはない。
でも、教師を選んだ自分の未来があまりにもはっきりと見えすぎていた。
そんな将来像に「つまらない」と感じてしまった自分がいた。

だから教師という道は選ばずに、いったんは就活してみるかと思い、そのまま企業への就職を決めた。完全に感覚だった。

あの時だ。敷かれたレールから脱線したのは。
はっきりと見える将来の自分よりも、未知の世界に足を踏み入れた自分にわくわくした。

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それからどんなことでも感覚で決断して動いてきた結果、これまで関わったことのないような人たちや、これまでしたことのないような体験をたくさんした。
そこで、これまで「先生です」と答えていた自分が見ていたのは、社会の、世界のほんの一部だけだったことを知った。

仕事って無限にあるじゃん。
聞いたこともない職種ばっかりだ。
趣味も仕事になるのか。
むしろ会社に属さない働き方もありだな。
いや、日本から出ても働けるか。
待て待て。働かない、ってのも選択肢にあるのね。

全部やってみたいかも。すごい、人生って可能性に満ち溢れてる。

一度レールから外れた瞬間、好奇心に歯止めが効かなくなった。
いくつかの会社でまったく違う仕事を経験し、2年働いた今の大好きな職場さえも、海外で働いてみたいから離れる決断をした。

でも、こんな呑気な奴に、「社会の常識」は容赦なく攻撃をしてくる。

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両親やこれまで退職した会社の上司・同僚など、多くの「大人たち」は、「こども」をしつけるように言う。
「今キャリアをあきらめるってどういうことかわかってないよなぁ」
「今はそう思えても、絶対にこの仕事を続ければ、いいお給料もらえるから頑張りな!」
「決まった仕事でちゃんと安定を手に入れることが一番だって。教員免許だってあるんだし、公務員の方が安定しているし」

友達と何気なく話していても、自分にはどこか引っかかる。
「やっぱり会社からも評価されたいし、しんどいけど今はこの仕事を続けなきゃ」
「プライベートはほぼないけど、20代のうちにこれくらいやらないと将来が不安だよ」
「20代で年収はこれくらい欲しい。20代後半で結婚して、30代までに子供は欲しいから。親に孫も見せたいし」

みんな私を攻撃する気はないのはわかっている。そしてみんな自分の人生を生きていて、それぞれ考えや置かれた状況は違うことはわかっている。
でもすべての言葉が地味に私をちくちく刺してくる。自分が間違っているのではないかと不安になる瞬間がたくさんある。

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そんな地味な攻撃に対し、心の中で反抗期のこどものようにつぶやく。

「会社を辞める=あきらめではないです~
「いいお給料もらえてない今も、私は十分幸せよ
「私は最初から同じ仕事を生涯続けるってイメージできないな。たくさん経験してみないと何が合っているかわからないもん」
「仕事も大事だけど20代でたくさん遊んでおくことも大事かな!人生短いし!」
「今は結婚願望はないし、子供も今は欲しいと思わない。まだ子供や家族のためにお金を稼ぐことは考えられないな~」
「あー、そもそも私は同性愛者だから普通の結婚と普通の家庭がそもそも選択肢になかったー(笑)」

いろんな経験を通して、私は学んだつもりだ。
社会の当たり前と比べることは、自分の自信をぐらつかせ、一度決めた決断さえ間違っているように思わせる。
だから心の中で、笑って受け流すしかないんだ。

自分の選択には自分で責任をとるつもりだし、自分の感覚は間違っていない。
別にこどものように好奇心をもっていたっていいじゃないか。

私は、自分の感覚を信じてわくわくすることをし続けたい。
どんなに敷かれたレールからそれてもいい、自分の人生は自分のために生きたいから。