「もう……なんでこんな人生を送ってるんだろう……
本社ビルの女子トイレ内で、ある時はクライアント先である六本木ヒルズを出て夕日を目にした時、なぜか涙がとまらなかった。ずっと押さえつけていた心の鎧が予期せず、ほどけたような、そんな気持ちだった。

◎          ◎ 

頑張れば報われると思って、信じてやまなかった学生時代。大学は第一希望がかなわなかったので、就活では希望通りに…と、大学1年生の時から活発だった。自分でいろいろな機会を見つけ、赴き、自分なりの結果をあげるそんな活動的な、一心不乱な、明るい女子学生だった。課外活動ももちろんだが、私は文系なので「語学を身につけたい」という動機で、学部は外国語学部に入ったのもあり、中国語と英語のどちらも卒業までに習得しようと留学など、語学の勉強も怠らなかった。いわゆる、本当に活動的で目的意識のはっきりした、良くも悪くも「未来のために」今を生きている学生だったと思う。

そんな布石もあり、就活では第一希望の会社の第一希望の部署にいけた。グローバルカンパニーだったので、「多国籍なチームにいきたい」と希望を出していたら、日本人が自分しかいない欧米系の部署に配属になった。面接の際、人事の方もとても素敵な人だったのもあり、ますます会社や同僚となる人たちに対して憧れが強くなり、胸が高鳴った。まだ入社前、悔しさからスタートした高校卒業後の春休みとは違った、晴れやかな入社前の春休み期間を送っていた。

◎          ◎ 

入社初日。外資系のため、入社式という入社式はほぼなく、初日からチームへ配属され早速OJTが始まる。私の上司はイギリス人男性だ。他の上司と違い、少し訛りのある英語に最初は苦労もあったが、「語学力を言い訳にしてはいけない」とどこか自分の中で強く思っていた。当日初めてチームに挨拶すると、その時そのイギリス人上司は私にだけコーヒーを奢ってくれたのを覚えている。その日のランチは、私が「日本人だから」という理由で、自分以外全員が欧米国籍のチームメイトたちと皆でお寿司を食べに行った。どうやら、欧米人にとって生の魚はあまり馴染みがないのか、チームメイト達は「何これ?」と訝しげにお寿司を眺め、半分以上残していたのを覚えている。

自分の望んだ憧れの環境で、順風満帆なキャリアを歩むつもりだった。周りも、皆、私を応援してくれていた。ところが、毎日毎日異文化で社内へも対クライアントへも全方位に頑張って働いて生きていたら、ある時ふと、涙と疑問が溢れてきてしまった。
「こんなに頑張ってきたのに、私はなんでこんな人生を送っているのだろう……」

◎          ◎ 

弱音ははかまいと笑顔と強気を振り絞って唯一の日本人プレイヤーとして社内でも社外でも発奮して仕事をしていたら、積み重なった何かが解けてしまった。「今の環境やその延長線上に、私の本当の幸せは無いな」と明確に思ってしまった。思ったからには、「もう世間体など気にせず、自分の生きたいように生きよう」と、もう次を見ていた。

唯一の日本人プレイヤーとして、社内の多国籍な環境やそれが伝わらない純粋な日本文化のクライアントに挟まれて1人で仕事をしていく(会社やクライアントのノルマの穴を埋めていく)のは、想像以上に孤独で忍耐力が必要だった。「誰の、何のために?」と疑問は常に心に浮かんだし、そんなことを気にしてはダメだと心に蓋をして仕事を続けていた。「家族や大切な人がいるならまだしも、自分1人のために、こんなに高額な給与はいらない。私は給与のために働いているのではない」と思ったことも多々ある。それでも、すべて希望のかなった当時のあの環境には大変感謝している。あの環境で就業していなければ、きっと、私は私らしい選択や生き方をできていなかったと思うから。