高校時代、まだインスタが普及してない時、私の周りでTwitterが流行った。
皆アカウントを持っており、リア垢を作っては、クラスメイトや部活の同級生たちと交換をし、日々のくだらないことを文字に起こしては、世間に発信していた。

私はそのリア垢の他にも、趣味に関するアカウントをいくつか持っていた。
そのアカウントを作ったのは、今から10年近く前になる。200人ほどの人と繋がっていたが、いつしかログインしなくなり、毎日のようにやり取りしていた人たちは、今何をしているかすらわからない。
ただ、それでもそのアカウントで繋がった2人とは未だに交友がある。

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どういう流れだったか忘れたが、Twitterのリア垢をフォローし合い、LINEも交換して、Twitterの外で定期的に連絡を取り合うようになった。
1人は女の子で、もう1人は男の子。
2人とも私と同い年で、趣味が同じで、お互い本名も、住んでいるところも知っている。ただ、これまでに一度も会ったことはない。

SNS上でしか繋がりがないその2人は、最低限の情報しかお互いを知らないからこそ、話せることがある。
女の子の方とは、インスタのストーリーでお互いの“今”を共有し合っている。時々DMを送り合ったり、誕生日におめでとうのLINEをしたり。普通の友達のような関係が続いている。
彼女とは、「いつか会いたいね」と言い続けて10年近くが経とうとしている。だが、住んでいる場所が、私は九州、彼女は関東だ。離れているとなかなか思うようには会えない。そんな社交辞令のようになった挨拶が、誕生日メッセージの定型文になってしまった。

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一方、男の子の方とは、たまに途切れることはありつつも、何気ないLINEのやり取りを数年続けていた。
高校生活、大学受験、大学生活、就活、卒業。そして気がつけば、お互い社会人に。
就職してからは毎日「辛いね」「きついね」「上司がさ〜」などと仕事の不満を送り合っていた。
社会人になって一人暮らしを送っていた私にとっては、彼とのLINEが心の支えだった。
住んでいるところは違うとはいえ、新卒で辛い環境を共にしている彼がいると思えば、1人ではない気がしたからだ。
しかし、社会人が始まって1ヶ月が経とうという頃、彼から「休職することになった」という旨の連絡が来た。衝撃だった。

彼とはSNSの文面でしか会話したことがなく、会ったこともないため、実際はどんな性格なのかは知らない。ただ、同じ辛さを共有し続けてきた彼が、限界を迎えてしまった事実に、私も苦しくなったのを覚えている。
それからしばらくして私もメンタルが弱り、休職した。
お互いに休職期間中のことや、再就職先のことなど、たまにやり取りをしていたが、数ヶ月前に私の送ったメッセージに既読がついたまま、連絡が途絶えた。

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私もあまり触れずにいようと思い、追いLINEはしていない。それでも、いつの間にかLINEのトプ画が変わっていたのを見て、元気にやっているんだろうなと思う。
次に連絡を取り合う日は来るのだろうか。別に期待しているわけでもないが、このSNS上だけでの不思議な繋がりが、10年近くも続いたという事実に自分でも感心してしまう。

彼らは一応友達と言えるのかもしれないが、いわゆる“リア友”とは少し違う感覚だ。言葉にするには難しい、なんとも不思議な感覚である。
Twitterで繋がった彼も彼女も、同じこの日本のどこかで生きていて、それぞれの生活を送っている。
SNSは怖い面もあるが、遠いところに住む誰かと繋がれる特別な手段なのだと、彼らとの少し不思議な交友関係を続けて思う。

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もし2人にいつか直接会えたなら、私は一体何を話すのだろうか。LINEやTwitterの文面ではなく、顔と顔を合わせて話した時、何を思うのだろうか。
緊張して上手く話せないかもしれない。はたまた、かつての同級生のようにすらすらと話せるかもしれない。
たかがSNSだけでの繋がりだが、だからと言って10年以上も交友が繋がるとなると、SNSは侮れない。