新卒で入社した関西の会社を、12年勤務し退職した。退職前に次の仕事を決めたわけではない。
30代半ばで一度退職すると年齢的に再就職が難しいと言われていたが、そんなことどうでもいいくらいマンネリ化した通勤と会社の環境、とにかく人に疲れていた。当時は実家住まいで両親のサポートが可能だったからこそ、できたことだ。退職の半年前にローンでマンションを購入、退職月には単身生活が始まっていたが、退職金と貯金があったからできた。

片道2時間弱の通勤時間、会社でのセクハラ、真面目で大人しくおやじ受けする印象があり、通勤でも下品な男性の輩に標的にされていたため、退職後に心療内科を2軒ほど受診した。その後最初に登録した派遣会社から仕事を紹介され、徐々に忙しくなると気が紛れてそのうち通わなくなったが。
以降は登録した派遣会社からの紹介で20年もの間、転々と仕事を繋ぐことになった。

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40、50代の女性事務職が比較的紹介を受けやすいのは、時給の安い県や市の外郭団体。派遣職員として短期で働くことを望んでいたわけではなく、どこであれ直接雇用を常に希望した。

しかし派遣先に相談しても結局、これまで正規雇用に繋がることはなかった。こういう団体にはありがちな対応、「前例がないので」の言葉で終了した。不運だったケースとしては、ある職場は翌年から直接雇用を検討し始めたのだ。後に大きな組織化への準備が始まったと当時の職員から聞いた。

派遣勤務が続く中、減っていく貯金が不安の小さな塊となり、それが頭の中に徐々に増え続け隙間がなくなった。年齢が上がると体力の衰えと共に、残業が続いた際負担になり気力にも影響した。

「先が見えない」というより「先を見る余裕すらなくなった」という状況に陥った。
直接雇用が不可能なら、このまま定年の年齢まで派遣で繋ぐしかないと考えたが、上がるしかない年齢に、いつまで仕事の紹介があるのかという不安もある。打開策も考えられず、助言者にも出会えず、ますます孤立した状況になった。
そしてこのまま続いていくものと考えるしかなかった。

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自分でもどうしたらいいのか全くわからなかった。ハローワークの職員でさえ、ただの励ましの言葉しかなかったのだから。結局、誰も答えを持っていなかった。

4年制大学を出ても管理職になるどころか、楽しむためのお金の余裕もない生活。
私の世代は「新人類」と言われ、結婚退職の価値としてお祝い金があった世代。独身で過ごしている数少ない友人は、新卒で縁故採用で就職した人くらいで、今もその職場で働いている。
こちらは当然、友人に定期的に会う余裕もなくなり、特に縁故で就職した友人には会いたいとも思わない。多分、状況を理解してもらえないだろうし、向こうはボーナスで行く旅行やグルメ、趣味の話をしたいだろう。こちらも今の惨めな状況を話したいとも思わない。都合よくその間、同年代には早い父と母の介護の時期もあり、会えない理由があったのは幸いだった。

20代から30代にかけては年に一度は旅行をしていた。よく自己紹介で「趣味は旅行」と書いたり言ったりするが、旅行に行けるお金がある生活だから、そう書けるのだ。たとえ旅行が好きでも、行く機会がなければ書いたとたん、最近どこへ行ったの?と聞かれても答えられない。

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とにかくそれぞれの職場で正規雇用を目指し懸命に仕事をし、相談もした。契約終了間近に派遣会社の担当者に「懸命に働いた」というと薄ら笑いされた。
真面目な懸命さだけでは誰にも感動されない。計画性がなかったのだろうが、その間はそんな余裕もないくらい何も見えなかった。
ちなみに直近で、私が契約通り3年勤務したそのポストの前任者、後任者ともに半年以内に退職していた。そういう環境であれ契約通り働いた。

最後の派遣契約終了後、今は手もとに残る資金でデザインの勉強を始めた。先のことは何も確定していないが、もう事務職に戻りたいとは思わない。
その気持ちがひたすら、私を勉強する衝動に向かわせている。