夫と結婚して5年。念願だった、夫の海外駐在が決定した。夫も私も、学生時代を海外で過ごした経験があり、海外駐在は夫だけではなく私の夢でもあった。夫は二つ返事で駐在を承諾し、夫婦二人でまだ見ぬ地での生活に胸を躍らせた。
私は自分のキャリアが好きだった。何度か転職しながら、着実にキャリアアップをしてきた自負があった。しかし、帯同と決まれば、とにかく海外での生活が楽しみで仕方なく、すぐに私の上司に退職の旨を申し出た。上司は「夫婦は一緒にいた方が良いからね。退職することはわかった。でも帯同して、現地でどうするの?」と言った。どうするの、の意図がわからず、「まずは生活に慣れることですね」とだけ答えた。上司はまだ何か言いたげだったが、退職の了承を得たことで、私は退職に向けて早速動き出し、無事退職した。
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そして、退職後すぐに夫と赴任地へ移り住んだ。
何を見ても、何をしても、新鮮な日々だった。そして、これまでは共働きだったため、専業主婦としての生活に張り切っていた。夫より早く起きて、部屋を快適に整え、夫の身支度ができたときにちょうど温かい朝食を出す。夫を送りだしたら、洗濯、掃除、食品の買い出し、夕飯の支度をして夫の帰りを待った。
そんな生活を1か月続け、薄々気づいていた違和感が徐々に大きくなっていることに、もう目を背けられなくなっていた。私は、このままでいいのか。夫も立派な大人で、全部の家事は自分でできる。私が一人で張り切ってサポートしなくても、問題なく夫は生きていける。そうなると、「私の価値は何なのか?ここで何をしているのか?」と考えだして、止まらない。もちろん夫は全くそんなことを言わないし、日々の家事に感謝をしてくれている。これは私の中での勝手な葛藤だったが、止まらなかった。
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現地で就職をしようと思い立ち、現地での求人を見てみたが、赴任地の土地柄、日本人が採用されるようなポジションは全くなかった。
自分が喜んで手放したキャリアへも、突然未練が止まらなくなった。どうするの、と言った上司の言葉の意味がやっと分かった。あのまま続けていたら、何年後にはあのポジションで、いくら稼げただろう、などと甘い想定をして、勝手に悔しくなった。自分からキャリアの壁を作りにいったようなものなのに、目の前にそびえたつ、巨大で壊しようのないキャリアの壁に、ただ打ちひしがれていた。
半分ノイローゼのような状態で、自分の履歴書と職務経歴書を眺めていた。幸い時間だけはあったため、自分のキャリアの棚卸しを兼ねて、丁寧に職務経歴書を変更した。そうすると、「日本でよく頑張ってたな。私って、これもあれもできるじゃん。このスキルを使わないのはもったいない!」と次第に前向きになった。
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そこから、私のキャリアが役に立ちそうな企業があれば、どんどん自分から売り込みをかけた。見向きもされないことが大半だったが、個人事業主として、1社から案件を獲得することができた。働くにあたり、帯同ビザから労働ビザに変更もした。それから1社、また1社と契約が増えた。今は、海外生活を楽しみつつも、仕事に邁進し、充実した生活をしている。
あんなに大きく、分厚く見えていたキャリアの壁も、端っこから少しずつだが壊すことができた。壊れた壁の先には、想像もしなかったような、明るくてあたたかくて刺激的な道が開けていた。これまで身に着けてきたスキルは、いつだって自分を助けてくれる。
スキルは武器になる。ただ、その武器は、錆びつくこともある。だから、一つずつ丁寧に磨いて、少しずつ壁を崩していけばよい。キャリアの壁は大きくて、恐ろしく強いものだと思っていたが、その壁を崩した経験は、私をより強くし、また私の武器をより磨かせてくれた。