毎日、仕事が終わってからバスを待つ間に聞こえる百貨店の放送の声。

「ああ、あの人もこの人もまだ交換室で働いている」

胸や咽喉の辺りを締め付けられる気持ちになる。一方、知らない声だと、今度はゾッとするほど寂しい。退職後13年が経つとは信じがたいほど、毎回アンビバレントな感情が込み上げてくる。
私は辞めさせられたが、彼女達は催事場の案内・呼び出しの放送、美術展のオープニングセレモニーの司会、ファッションショーのナレーションをしている。そんなふうに思うたびに強い自己嫌悪に陥る。

私は、第二新卒で地元のデパートの電話交換手になった。主な業務は代表電話の取次ぎと放送。店内外で開催される式典やイベントMCなど。パソコンスキルも問われず、特別な資格がいるわけでもない。私に言わせれば声さえよければ誰でもできる単純な業務だ。

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勉強も運動も苦手で人間関係も下手な私は、物心がついた時から教師や同級生からいない者として扱われてきた。

ところが、小学校を卒業する間近におこなわれた朗読会で、隣のクラスの担任教諭から人生で初めてほめられた。「アリトモさん、声いいね」と。

「まさか! 私が? この私が?」

一瞬、何がおきたのか理解できなかった。

運動会でいっせいにダンスを踊る時に、悪い見本として、前に出るように言われるのはしょっちゅう。だが、幼稚園入園以来、団体生活で他人より秀でたモノが自分にあるとは思えなかった。その上、人見知りが激しく、名前の文字が間違っていても、自分から言い出すことができないほど内気だった。
いやだからこそ、誰も私の声を聞いた人がいなかった。今にして思えば、その盲点を突かれただけかもしれない。

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しかし、私は本気になった。中学生になると演劇部に入部し、発声練習に明け暮れた。高校時代は弁論大会にも出場した。あいかわらず、授業中に名指しされても「返事が聞こえない」とあきれられるくらい人見知りが激しかった。けれども、舞台でせりふを喋り、マイクに向かって原稿を読む時だけは、別人に生まれ変われた気がした。

教習所に通っても運転免許を取得できず、折り鶴が作れないほど不器用。四則計算も指を使わなければできない。でも、この声さえあれば大丈夫。生きていける。
本心からそう考えて舞い上がっていた。

当然、世の中は甘くない。放送業務は人並みにできたところで、休憩室で普通に会話をするという単純なことが上手くいかず、その上、ノートやペンなどの備品の補充すらろくにできない。掃除機の袋をかえるだけで30分以上かかってしまう。雑用ひとつまともにこなせない契約社員を雇い続けるほど人件費に余裕はない。入社して約5年後、人事部長が社内初の女性に交代したタイミングで私は解雇を告げられた。

「もう、あなたにお願いする仕事はありません!」。

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以来、時給制の仕事を転々としている。どこに行っても、度を越えた仕事のできなさと人づきあいのぎこちなさが災いして、業務を覚えた頃に「悪いけど、契約を終了してくれないかな」と切り出される連続だ。何とか私にもできそうな仕事となると地元にはなく、県庁所在地付近に集中する。よって1時間以上かけて通勤しなければならない。するとどうしても以前働いていた、そのデパートの名前の表示されたバスセンター乗り降りすることに。元同僚が放送する声を聞くたびに「私ならこうやって放送するのに」と、頭の中で、たった今かかった放送を復唱してしまう。

好きや憧れではなく、現実的にできることとして、声の仕事にしがみついた。が、周囲からは「夢を追うばかりで現実を見ていない人」という目を向けられる。実際は、自分にできることでありさえすれば、業種・職種は一切問うつもりはない。が、40歳を過ぎての新規キャリア形成は、竜宮城を探すよりもむつかしいことを痛感している。