コロナの影響で職場が異動になり、高齢の両親との同居を一時やめ、社会人3年目にしてはじめて、ひとり暮らしをすることになった。
まだ若い部類に入る私と、定年を超えた両親の生活圏が異なり、持病を持つ親のことを考えると最良の選択かなと思ったし、大学を卒業して就職したのちも両親と同居し、生活の大半の面倒を見てもらっていることに引け目も感じていたので、いいタイミングだなと思っていた。

はじめての一人暮らし。生活をなりたたせることは意外と面倒くさい

自由な週末、自分で自分の生活を成り立たせている感覚は初めてだった。
一週目の土曜日、朝何時に起きてもよくて、何時まで起きていても、部屋を開けられることはなく、好きな時間にご飯を食べて、出かけて、帰ってきて、好きなご飯を作って、日曜日を迎える。

次の日曜日は、次の一週間に備えて、食材と安売りのパンを買って、家になかった包丁とまな板を手に入れて満足して家に帰った。

仕事場から近いところに住んでいるので、平日も移動が少なくて楽だった。実家に住んでいたころは、一時間かかっていたのが、4分の1ほどになった。
その反面、平日だろうが休日だろうが、洗濯、料理、掃除など、当たり前だが家事も自分のやることの一つになった。

しわしわのハンカチを持っていくのも、汚部屋を作るのも、シンクに洗っていない皿を積み上げるのも、それをキチンと洗っていくのも私。生活を成り立たせるためにはめんどくさいことも多い、ということをこの年になって気づく。

自分の予定でスケジュールを塗りつぶすことができる新鮮な週末

家にいたときは、週末は祖母の家に行くのに付き合ったり、買い物へ行くときの足として(かつ自分の腕がなまらないように)家族のために車を運転したりして、土日のどちらかがつぶれることがあった。

それが、今はない。2日間とも自分がやりたいこととしなければいけないことで一日のスケジュールを塗りつぶせるのも新しい経験だった。

自由があって、自分の生活の責任感も芽生えて、自由に使える休日をどうマネジメント(大げさに言えば)していくか考えられるようになったけれども、一つ悲しいことがあるとすれば孤独感を感じることだった。

朝起きて、ごはんを作るまではいい。カラーボックスの引き出しを裏返した机代わりの台の上に朝ごはんを置いて、一人で誰とも話さずにYoutubeかradikoを聞きながら窓の外を見てごはんを食べるとき、食事ってこんなに寂しいものだったかしら、と思う。

一人で過ごす休日は自由だけど、私にとっては孤独を深く感じるもの

自分の料理があんまり上手ではないこともあるけれど、朝ごはんも夜ごはんもおいしくない。このままだったら嫌いな食材が増えるのではないかと怖くなってしまったくらいだった。

でもそれは大部分、ひとりでご飯を食べることが理由だなと同時にすぐわかって、自分ではどうしようもない状況だと納得するしかない。あとは努力して自分の料理を上げるしかない。

休日は、何も私を急がせることがない。誰かと話す機会もほとんどない。
緊急事態宣言が出ている中でも、誰かと一緒に遊びに行くほど勇気はないし、やることといったら、買い物か掃除か運動か料理を作るか。

大半が家にいる。一人で過ごす休日は、自由。でも私にとっては孤独を深く感じるものだった。これから、これが日常になり、新しい楽しみが見つけられるように、また明日も仕事に向かう。