毎日の仕事に嫌気が差して、はたまた長期休暇で人生を考えて。何らかのきっかけがあって転職活動を考える人は多くいる。一方、かつての私のように、常日頃から求人を見て、職務経歴書を更新して、転職エージェントから送られてくる四季折々の「今がチャンス!」メールに焦る人たちもいるのではないだろうか。
社会人になって4年が経つ現時点で、おおよそ半分は後者のような「ふんわり転職活動」をしながら過ごした。
仕事でしんどいな、向いてないな、と思うたびに、コロナ禍入社では愚痴を言い合って結束に昇華できる同僚もおらず、ただ1人もんもんと転職するかしないかの堂々巡りをしていた。仕事と自己実現を両立させている人への憧れが強すぎるあまり、日頃の労働にネガティブな感想を持ってしまう自分がなんだか許せなくて、「愚痴をいうだけで終わらせるな。まともな大人なら、原因の特定と解決=転職に向けて行動を起こさなければならない」と心の中の批判者から厳しい視線を送られている気がして、その批判者へのポーズとして転職サイトを巡回していた。
とにかく今の暮らしを手放したい。死にたいわけではないけれど、明日目が覚めたら会社も上司も忽然と姿を消してたらいい。
しかし逃走願望から始まった転職活動がうまくいくはずもなく、今も毎朝ベッドを這い出ては労働と向き合う日々だ。
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形ばかりの転職活動を続けていたある日、学生時代の友人と会う機会があった。地元の大学を卒業して、生まれ育った地区で公務員をしている。社会人になってしばらく会えておらず、学生時代以来の再会では、やはり仕事の話が中心になる。
どうやら公務員というのは異動が多いらしい。会社員からすればキャリアもクソもなくなってしまいそうで不安が募るが、本人にとってはそういうもので片付くようだ。
珍しがりながら話を聞いて、いろんな仕事をするんだね、どこかの部署でやりたい業務とかはあるの?と聞くと、彼女は1拍おいて「ないんだよねぇ~!」と言う。笑いとため息がまじったような口調ではあったが、すごく自然に言い切った。
「ないんかい!」と会話上ではツッコミつつ、自分だったら「やりたいことがないなんて」と悩んでしまいそうなところを柔らかにすり抜けていく、ナチュラルな佇まいが羨ましいような、かっこいいような可愛いような、とにかく素敵だなと思ったのだった。
ふんわり転職活動は、業務内容の変化や環境の変化など、いくつかの理由が重なり中断することにした。正確にいえば、心の中の批判者へのポーズとして行っていた転職活動に、終止符を打った。
向上心が強すぎる人間だと思っていたが、本当は今の自分を認めたくて認められなくて、誰かにポーズを取るのを止めていいよと言ってほしかったのだと思う。友人の自然な佇まいを羨ましく思った自分がいたことで、気付くことができた。
求人サイト、転職エージェント、口コミサイト……あらゆる媒体の会員情報を削除し、アプリを削除する。一瞬、批判者からの「逃げるの?」という声が聞こえたが、無視してメルマガを停止した。
スマホのホーム画面が、数カ月ぶりにサッパリしていた。ほんの少し、心の風通しが良くなった気がする。
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それから数ヶ月経って気付いたことは、自分にとっての転職活動は自己否定の連続だったということ。
転職理由を深堀りしようとすれば、自然と今の職場の不満を思い出すことになる。複合的に絡み合ういくつかの理由を好印象を与えるように整理していく過程では、「こんな仕事にしかつけない私」とか、「レベルの低い会社にしか受からなかった」とか、自己否定に向かって走ってしまう夜もあった。
数ヶ月単位でそんなことを考えている人間が仕事に誇りを持てるはずがなく、自己効力感も下がっていく。どんどん負のループに陥っていたのだろう。
「もう辞めてやる!」と泣きたいほどのストレスを感じることは今もあるけれど、転職活動から距離をおいたことで、日頃のちょっとしたストレスは受け流せるようになった。
不満はあるけれど、いいところもあるし。長い付き合いになるんだから、それくらいは仕方ないでしょ、と腐れ縁のような関係になりつつある。
向上心は自己否定の裏返しではないことに気づけたのだから、ふんわり転職活動も無駄なものではなかったと言いたい。