私は料理をすることが大好きだ。特に好きなのは、ご飯を作ること。白米を炊くことではなく、朝食・昼食・夕食の食事を作ることだ。
食事を作っている間は、頭の中を料理のことでいっぱいにできる。だから好きだ。夢中になれるものを見つけ、それに熱中している感覚は、年々好きになっている気がする。

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料理に目覚めたのは、おそらく幼稚園生のころ。はっきりとは覚えていないが、自宅のキッチンで母に見守られながらスクランブルエッグを作ったのが始まりではなかっただろうか。やってみたい、という好奇心で始めた料理。スクランブルエッグを完成させた私を、母は褒めてくれた。これが自信となり、私は料理の楽しさを覚えていく。

大学生の時、家の都合で私が家事の大半を担った時期があった。夕食も学校から帰ってすぐ作って、家族が食べる時間に間に合わせるのだ。
これまで母がしていたことを、私がするようになった。

世間では、ヤングケアラーという言葉がある。外の目からみれば、私もそのひとりにカウントされることをしているのかもしれない。しかし、母のため、家族のためを思って家事をこなすことは意外と苦ではなかった。楽しいと思ったのだ。キッチンに立ってご飯を作っている時間は、とりわけ楽しく満足していた。

ご飯を作るようになった大学生の私。放課後のルーティンはこうだ。

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最後の授業が終わると、30分から1時間ほど勉強をして家に帰る。必要であれば、道中にあるスーパーに寄って足りないものを買い足す。自宅へ帰ると、洗濯物を取り込み、キッチンに立つ。事前に母から聞いていた食材と、冷蔵庫に入っている食材で何が作れそうかを想像し、献立を組み立てる。我が家では、18時に食事をする家族がいたため、18時を目標に料理を作っていた。

献立はなんとなく決まっていた。母から、作っておいてほしいものや消費してほしい食材を聞いてご飯を作る。アレンジは私次第で、味が美味しければ特に問題はなかった。夕飯作りを任されたとき、私のなかに2つのこだわりがあることに気づく。

ひとつは、汁物は必ず作ること。

母の作ってくれた食事を食べながら、時間やメニューの都合上、汁物がない日はどこか物足りないと感じていた。食卓に並ぶ食器のバランスからも、ご飯と汁物で作られるフォーメーションは私の理想だったため、自分が作るご飯に汁物はマストだと決めていた。

そしてもうひとつは、野菜を使うこと。

肉や魚、揚げ物はなぜか頻繁に食卓に出てくる。美味しくて調理が簡単なのかもしれない。しかし、野菜は意識しないと出て来ない。私は野菜が好きということもあり、野菜サラダは毎日でも食べたい派だ。サラダとはいかなくても、野菜スープやおひたしなど調理法はさまざまある。ほとんど自分が満足するためではあるが、品数や栄養の関係もあり、食卓には並べたかった。

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はじめは、ひとつひとつメニューを作っていたので、時間も手間もかかっていたが、次第に並行して作れるようになった。汁物は火にかける時間が長いため、はじめから作っておくほうが効率よく仕上がる。炒め物や焼き物は、味付けや簡単さからどの順番で作っていくかを決める。2品以上作る献立があるときは、1つのフライパンをどの順番で使うかを決める必要があった。

意外と難しいのだが、頭のトレーニング感覚でそれを楽しんでいる自分もいた。それだけではない。同じ野菜でも、使うメニューによって切り方を変える。スープではいちょう切りにするから、炒めものでは乱切りで切ろうかな、と違いを出すのも楽しいのだ。

現在は一人暮らしをしているが、この経験が非常に役に立っていることは言うまでもない。

一人暮らしを始めると、料理は「自炊」と言葉を変える。しかし、自炊している感覚はなく、大学生の延長で毎日ご飯を作っているだけだ。お弁当も、コンビニなどで購入すればと良いものをあえて作って持参している。苦しくはない。自分の好きなことをしているだけ、という感覚だ。毎日キッチンに立つのも楽しみで、作りたい衝動が抑え切れないこともある。

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私にとってキッチンは、とても重要な場所だ。
料理をすることが大好きな私は、これからもキッチンに立ってさまざまな料理を作りたい。どちらかというと作る専門な私は、品数も、レパートリーも増やしたいと思っている。

キッチンは、私の中で大切な場所だ。好きを気づかせてくれ、家族のために貢献できた場所でもある。何かに夢中になれた場所としても思い出深く、これからも大好きな場所。
作る楽しさと、食べる楽しさ、自分の好きなことをしていると実感できるキッチンで、私は今日もご飯を作る。