自分で選んだ日々なのに、退屈で時間を持て余しているわたし。本当に欲しいものは、やっぱり手に入らないものなのだろうか。
2021年5月末、適応障害になった。このことをきっかけとして最終的に、大好きだったテレビのディレクターの仕事を辞めざるを得なくなった。それから約2年。病状が一進一退だったこともあり、復職がまったくうまくいかなかった。休職、復職、休職、退職、転職、退職、無職を経験するはめになった。そして、2023年4月から、司書という、これまでとまったく別の仕事の契約社員として、ようやく社会に復帰した。1日6時間勤務で、残業は1秒もなく、17時には家に着く。そこから自転車でダブルワーク先に向かい、放課後等デイサービスの施設で子どものトイレ介助や送迎をする。これをほぼ週5日。さらに、用事のない土日は単発バイトをしていることもある。
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「忙しいじゃないか」「病み上がりなのに、なんでそんなに働くの?」と言われそうだが(現に言われている)、ディレクター時代に比べたらなんてことはない。そう、なんてことなさすぎるのだ。日々変わらない仕事、代わり映えしない毎日、退屈で死にそうなのだ。前は適応障害という病気に殺されそうになっていたが、いまは退屈が私を襲っている。
というのも、ディレクター時代が刺激的すぎたのだと思う。事件や事故の現場に行けば、さまざまな情報が飛び込んでくる。絶望的な景色、パトカーや救急車のけたたましさ、生死を感じるにおい……アドレナリンが頭いっぱいに広がるのがわかるのだ。そんな毎日だったから適応障害になったのに、いまはそれを懐かしいとさえ思えてくる。たいそう自分勝手なものだ。
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適応障害になってから、「がんばらない自分」を受け入れる努力をしてきた。いや、「がんらないことをがんばってきた」が正しいかもしれない。「もっと働けるのに……」と思う反面、ご飯が食べられない、涙が止まらない日々にはもう戻りたくないとも強く思う。がんばりすぎて復職に失敗した過去はぜったいに忘れてはならない。いま、それぞれの職場はわたしの病気を理解し、突発的なメンタルの不良にも寛容な対応をしてくれる。こんな良い職場はない。そんなことは百も承知だ。それを分かったうえで、「自分の能力をもっと高く買ってくれるところにいきたい」「刺激的な仕事をしたい」というのは贅沢なのだろうか。
司書として仕事を再開したころは「まずは、なんとか休職せずに1年過ごしたい……」と思っていた。そして1年やりきった。でも、たった1年。そう、1年しか継続して働けていないのだ。そんな事実に目を背けながら、病気前は仕事の多忙さで死にかけたのに、いまは仕事の退屈さに悩まされている贅沢な毎日を送っている。突き詰めれば、わたしのしんどさはすべて仕事に起因するのかもしれない。
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そんな自分に今後のキャリアなんて描けるはずがない。「いちばん大事なのは、その仕事をやりたいと思える価値があるかどうか」という、学生時代に思い描いていたピカピカの理想しか思いつかないところが一番まずい。30過ぎたらそんなものは存在しないと、身に染みてわかっている。しかし、仕事というのは結局そこではないだろうか、と思う自分もいる。なぜなら、ダブルワークの2つの仕事は決してわくわくはしないからだ。わたしが持っている体力、能力、資格、経験に適しているにすぎない。でも、病気の再発が怖くて、労働時間的にも、がんばりすぎることは難しい。そうやって病気を盾に、「できない」「やれない」と、うだうだしている自分がなによりダサい。そんなことを毎日うっすら絶妙にメンタルの調子が悪いなか、考えている。