高校1年生の3月7日。私は日本にいた。コロナさえ流行しなければ、空の上にいるはずだったのに。
中学3年生の時から留学がしたくて、返済不要の奨学金を支給してくれるプロジェクトにやっとの思いで採用されて叶えた留学だった。
ホームステイ先の家族ともメールのやり取りを始めて、とうとうパッキングに取り掛かり始めたのは待ちに待った留学の1週間前だった。そのときはまだ、中国で流行している未知のウイルスが、それほど恐ろしいもので、国境を簡単に越えるものだなんて思っていなかった。

朝、学校に行くと先生に呼び出された。いつもはにこにこしている先生が怖く見えた。

「安全が保証できないから留学は中止してほしい」

何を言われているかわからなかった。

今の状況がどんどん悪くなったら帰国できなくなるかもしれない。現地で感染したら大変だ。向こうで何があっても自己責任ならいいけれど、学校の名前を出してプロジェクトに応募している以上、学校が知らぬ存ぜぬというわけにはいかない。

説明を受けるにつれ、段々状況が掴めてきた。つまり、私は1年以上かけて準備してきた留学を、1週間前になって自分の判断でやめなければならないのだ。画面の向こうの出来事は、いつの間にかこんなにも近いところに来ていた。

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母に連絡した。先生や留学エージェントとも話した。誰も、私に答えをくれなかっ
た。大人なのに、何も知らなかった。

「じゃあSARSやMARSのときは?そのときはどのくらいで終わったの?」

何か手がかりが欲しかった。何か判断材料や根拠が欲しかった。

留学をやめなければいけない確固とした理由。「おそらく」、「だろう」、「こうするべきでしょう」。どの言葉も1年の思いを抑えるには頼りなかった。
でも、欲しかった言葉は何一つ得られなかった。せめて誰かにこうしなさい、ああした方がいいとアドバイスをして欲しかった。なのに誰も何も言ってくれなかった。

納得できる理由なんてなかったけれど、理由が見つからないことが答えな気がして、とうとう私は留学の中止を決意した。
使うことなんてないと思って削除してしまった留学辞退書を、改めてダウンロードした。

それを削除したときの自分の気持ちを思い出したら、やるせなくて、夏休みに留学する予定にしていればよかったと、考えても仕方のないことばかりに頭を悩ませた。

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でも、悪いことばかりではなかった。正確に言うと、悪いことばかりにしないように努めた。

日本でもできることをと、プロジェクトのコミュニティを活かして、当時はまだマイナーだったzoomを駆使して全国の高校生と将来や時事問題について話し合った。同じ日本でも、地域や通っている学校など異なる要素はいくらでもあって、その数だけ、価値観や文化、問題意識もあった。距離はそこまで遠くなくとも、同じ学校に通っている子達とは違う、もっと大きくてわかりやすい違いがその子達と私の間にはあった。

それは当たり前のことだと前から頭では分かっていたはずだけれど、心のどこかでは、それでも日本は日本と思っていて、だからこそ、その固定観念を荒々しく取っ払っていくみんなとの話し合いの時間は、私にとっては海外よりも身近で、新鮮なカルチャーショックだった。

時には、こういう学生団体を立ち上げたいと思っているとキラキラした目で語る子も現れて、同じ学校の子にはない熱っぽさに私まで興奮した。

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なかなかけないコロナ禍、私はそれらの話し合いにたくさんと、活動のいくつかに参加した。そのおかげで知れたこと、成長できたこともたくさんあったと自負している。

私は確かに留学で得るはずだった経験も、成長も、カルチャーショックも得られなかった。自分で掴み取って選んだはずの道を進むことはできなかった。
でも、進まざるを得なかった道で得たものがたくさんある。そのおかげでいられる今の自分もあるのだと信じている。だから、今はもうコロナで閉ざされた道なんてどうでもいい。私はもう、もっと良い道を知っている。