12月から1月にかけてとにかく仕事がしんどくて、帰ってからご飯をつくることが減っていった。帰りにお惣菜を買ったり、先輩や同期と遅くまで飲んで帰る日々が多かった。ある日、ほんとうにむしゃくしゃしてしまって、とにかく冷蔵庫にある野菜を細かく切り刻んだ夜があった。にんじん、たまねぎ、ジャガイモ……。普段はみじん切りもめんどくさいと思ってしまうほうなのだが、一心不乱に野菜を切り刻んでいたら野菜がすごく細かくなった。
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私はトマトがだいすきなので、家にトマトかトマト缶が常備されている。冷凍した挽肉もあったので、ぐつぐつ煮込んでミートソースにした。料理は愛情こめてとか、誰かのために作った気持ちが味にでるなと思うことがあるので、こんな殺伐とした気持ちで作ったご飯が果たしておいしいのだろうか……と少し不安になったけれど、ちょっとすっぱくて、美味しかった。それから、うまくいかないことがあったら野菜を切り刻んでミートソースにすることが、私のストレス発散になった。
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休日に鶏と大根の煮物を作った。大根が食べたくなって、スーパーで半額になっていた大根を買い、ぐつぐつ煮込んだ。煮物をつくることが今までほとんどなかったので、味付けがうまくいくかとても心配だった。
おばあちゃんの家に行くと、毎回漬物とか煮物とか果物とか……食べても食べてもたくさん料理がでてきて、毎回胃がうれしい悲鳴をあげている。中でもわたしはおばあちゃんの作る、里芋とイカの煮物がだいすきだなと思い出す。キッチンで意味も無く泣きそうになってしまう。安心がすこし足りていないのかもしれない。ぐつぐつ煮物をしていると、思い出す時間が自然に生まれていることに気がつく。
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東京に来て6年。ひとり暮らしをはじめて6年が経った。ひとりで暮らすということは孤独で自由だということを知った。好きな時間にジャンクな食べ物を食べてもいいし、インスタで有名なおしゃれなカフェにいってブランチをしてもいい。好きなように私は東京での食生活を楽しんでいる。でもたまに、自分で包丁を握り食材を刻み、味をつけ、食器に盛り付けるとき、全身が満たされていくことを私は知っている。料理をすることは、私が私に優しくしてあげること。何よりのセルフケアだ。むしゃくしゃも不安も刻み、味をつけ、煮込む。どんな自分も受け入れていく感覚がある。
生きていくには働くだけでは成り立たない。私のそばにいつもいる「生活」のご機嫌もとってあげないといけない。どうしても忙しくて溜まっている洗濯物に背を向けたり、ばたばたして朝家を出てゴミを出すことを忘れてしまったりする日々がどうしたってある。自分に落胆してしまうときもある。そんなときは料理をして私自身を労り、励ましてあげたい。イライラで作ったミートソースが、半泣きで作った煮物がエネルギーになり、どんな私も包み込んでくれることだろう。さあ重い腰を上げ、スーパーに行こう。日々の酸いも甘いも、おいしいに変える力が料理にはある。