「一人で生きていけそうだよね」この言葉がコンプレックスだ。
思い返せば昔から子供っぽくないよねと言われていたし、周りよりは落ち着いているかなと思っていた。

弟が一人いる四人家族の長女として、クラス替えのない田舎で育った。両親は「お姉ちゃんなんだから」とは言わずに育ててくれた。そのことにはとても感謝している。
しかし、長女だからしっかりしなきゃいけないという気持ちは勝手に大きく育っていった。
弟とは一つしか変わらないが、よく世話を焼いていた。なんでもしてあげたかった。いい子にしていれば、私が褒められるし、いい子だね、しっかりしているねと言われるのが好きだった。
それに加え、感情を表に出すのが苦手だったので、困っていても、焦っていても周りに気づかれることがなかった。完璧主義者からしたらありがたい能力だったが、気づいてもらえない苦労と、頼れなくなることに気づいていなかった。

そんな私は、小学生のころに人に期待するのをやめた。

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ある年、担任と顧問が同じだったことがある。
その年はとにかく理不尽に怒られていた。平和な行事の思い出はない。しかしみんなで怒られるため、心細くはなかったが、問題は授業が進まなくなることだった。何でスイッチが入ったかわからないし、放置しておきたい気持ちをぐっと抑えて、担任の機嫌を取るのも仕事だと思っていた私は、ことが起きるたび、誰よりも早く話をしにいっていた。
この行動は担任に気に入られることに繋がった。嬉しくはないし、嫌な役割だとしか思っていなかったが、授業も進むし、周りのためになっていると思っていた。

うまく間を取り持てているという自分の認識が独りよがりだと気づいたのは、担任に怪我を負わされた時だ。
両親は、自分の意思は自分で相手に伝えること、自分のことは自分で決めること、と育ててくれた。そのため、怪我を負わされた時、自分で対応していた。
周りを教師に囲まれ、腫れた自分の足を見て、大丈夫?と聞かれたら、答えは大丈夫一択しか私にはなかった。
痛いと喚き、親を呼び出し、担任を責め立てていたとしたらどうなっていたのだろう。
しかし、その時の私にはそれはできなかった。

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担任には特別な処分はなかったようで、学校に守られたのだなと思った。担任からは謝罪のみ。その後の対応に変わりはなく、理不尽な日々は続いていた。
自分のことは自分で守るしかないのだと思った。
それに加え、同級生からは出しゃばっていてうざいと言われていた。担任に取り入っているように見えていただけだったようだ。怒らせたまま放置しておけば言われることはなかった。
怪我を負わされ、陰口を言われた私は、全部全部やめてしまおうと思った。
「一人で生きていけそうだよね」
そう、一人で生きていかなくてはいけないと思っていた。

そんな私は、その後に出会った人たちにとても恵まれていた。
その人たちに対して、頼ってはいけない、期待してはいけない、しっかりしなくてはいけないと思っている部分はまだある。
しかしその人たちになら、大丈夫?と聞かれて、大丈夫じゃないと答えることができるようになってきた。
私の独りよがりではなく、互いに何かあれば助けたいと思ってくれる人たちに出会えたおかげで今の私は救われている。