好きな家事、といっても私は大学に入学するまでほぼ一切家事をしたことがなかった。勉強や部活動で忙しいというのを言い訳に、母に任せっきりだったからだ。

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いい加減もうそろそろ自立しなければ、と受験が終わってから家事を始めた時には、料理をまともにしたのは小学校の宿泊研修以来、洗濯機の使い方も分からないといった有り様だった。母にひとつひとつ聞いてはそんなことも知らないのかと呆れられることを繰り返し、今は家事を何とか一通りこなせるようになった。

しかし、今でも苦手な料理は段取りが上手くいかず、包丁使いも下手くそで、全然楽しくない。味噌汁を作りながら肉を切っているといつの間にやら吹きこぼれそうになっているし、キャベツの千切りに初めて挑戦した時は短冊切りかと思うほどの極太キャベツを生成するのに30分を要したほどの不器用さである。料理が趣味の人はどんな脳の構造をしているのか、とつくづく疑問だ。

洗濯は簡単だが楽しいことは特になく、好きな柔軟剤の香りが普段よりちょっと強く感じられるのが少し心地よいくらいだ。皿洗いも、ぬるぬるした皿の感触はあまり好きではないし、洗剤で手は荒れるしで好んでやるものではない。そんな家事初心者の私が好きな家事は、落ち葉掃きだ。

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私の家の真ん前には大きな楠がある。それが毎年春になると大量の落ち葉を家の庭にもたらすのだ。家の庭はそこそこ広く、母や私が様々な花や野菜を植えている。その上に落ち葉が降り積もるので、落ち葉掃きは我が家にとって必須の家事だ。

降ってくる落ち葉の量は膨大で、数日留守にすると分厚い落ち葉の層が出来上がるほどであるため、植物に光が当たらなくなったり蒸れてしまったりするからだ。もちろん、見栄えも重要な理由だ。枯葉だらけの庭は手入れがされていないように見え、どれだけ装飾に凝っていても良さが目立たなくなってしまう。

ここまで読んで、落ち葉掃き、楽しそうだ!と共感してくれた人はいないだろう。それでも、私はこの落ち葉掃きが好きなのである。

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まず、落ち葉と箒がたてる音が好きなのだ。これは落ち葉の量にもよると思うが、我が家レベルの量になると集められた落ち葉たちがワッサワッサと心地よい音をたてる。それに箒のザッ、ザッという規則正しい音が重なって、これが結構心地よい。何だか心が洗われるような音で、無心になって作業することができる。

また、春は植物や動物が活動を始める季節だ。それで、春の落ち葉掃きには思いがけない出会いが多い。枯れたかと思っていた植物の新芽が落ち葉の合間から現れて感動する。小さな新芽は艶やかで可愛らしく、茶色一色だったところにそれが出てくるのはなかなか見ものだ。あるいは落ち葉を退けると蛙やバッタが飛び出てくることもある。

私は特に虫嫌いな訳では無いので、不意な登場にびっくりしたり可愛いと思ったりする。春の出会いを楽しみながら庭が綺麗になるこの楽しみは、なかなか他の家事では味わえないだろう。時々、出会った生き物の観察に夢中になってしまい、母に手が止まっていると注意されてしまうこともある。

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落ち葉自体にも楽しみの要素がある。綺麗に紅葉した葉を見つけた時はテンションが上がる。楠の周りにはハゼの木やツタも生えていて、珍しい木の実や花も時々見かける。宝探しのような楽しみ方もできるのだ。

今はまだ実家暮らしなので学校帰りや休日にこの楽しみを満喫しているが、今後家を出て一人暮らしになることもあるだろう。そうなれば落ち葉掃きも出来なくなる。この家でしか出来ない家事を、この家にいる今のうちにめいっぱいやっておこうと思う。落ち葉は今年も、無尽蔵にふってくるのだから。