ガラスのハート、豆腐メンタル、メンヘラ……どの言葉も、心の弱さ、不安定さが顕著な人を指すときに使われると思う。こうした言葉たちとは到底無縁だと、ここ数年まで私は自負していた。

「病む」という状態と無縁の私。親からは図太いとよく言われていた

小学生の頃、習っていたバレーボールの試合で初出場し、サーブでとにかく狙われて、大泣きしながら一瞬で交代した時だって、高校の部活仲間と喧嘩で絶交状態になって無視された時だって、一浪して目指した公立大学の二次試験を、センター試験で数学の選択問題の選択を誤って受けられなくなった時だって、人生に絶望して自暴自棄になったり、生活を放棄して虚無感に襲われ何も手につかなくなったり、落ちるところまで落ちる、みたいな状態になることはなかった。

口を開けば「まじ病むー」と、ハンバーガーとシェイクをしっかりたいらげながらぼやく友人に相槌を打ちながら、「病む」という状態が全く以って理解できなかった。
もちろん、失敗したり嫌なことがあれば、落ち込んだり反省はする(といってもその深度は傍から見たら水たまり程度かもしれない……)。

でも常に前向きでいなきゃ、元気でいなきゃ、そんな強迫観念に追い立てられたように生きてきた私には、「病んだ」なんて口が裂けても言えなかったし、「病んだ」自分なんて受け入れられなかった。

おかげで、嫌なことがあっても一晩寝てご飯を食べて、好きな音楽を聴いて、くだらないバラエティショーやお笑いを観て笑っていたら大抵元気になっていた。こんな私に親は呆れながら、半分嫌味と半分称賛(と私は思っている)入り混じるトーンで「あんたは図太いわ」とよく言った。

病んだ自分、弱い自分を認められず、仕事を休まない日々に限界がきた

そんな底抜け楽天人間の代表の私だったが、2年前にメンタルクリニックを訪れたことがある。それは社会人生活半年を迎えた頃だった。

両親が教員だったことや、大学で受けた教職の授業の影響で、なんとなく教員を目指すようになり、大学を卒業すると私は塾の会社に就職した。

ちなみに教員を目指していたものの、私は塾でのバイト経験はなかった。ボランティアで、地域の公立中学での少人数への補講や、教育実習の経験しかない、すべてが一からの私には、塾での仕事は想像した以上に過酷だった。

授業準備と、教室管理の雑務に追われ、慣れない集団授業で生徒からの評価もよくない。直接生徒に、私が先生なのは嫌だと言われたこともあった。
だんだん事務仕事のミスが増え、教室にいるとうまく呼吸ができない気分になったり、人と会話する時に声を出しづらくなったり、明らかに今までにない異変が現れていた。仕事を終えて家に帰宅すれば、食事はコンビニのご飯で済まし、ひたすら始業ぎりぎりまで寝る日々。何もやる気が起きず、荒れていく部屋。

それでも仕事は休めなかった。どうしても病んだ自分、弱い自分を認めたくなかった。
そんな強がりはある日突然限界を迎えた。

無理やり前を向くことをやめて、弱い自分を許すことでまた歩き出せた

何がきっかけかなんてもう覚えていない。気が付けば近所のメンタルクリニックに足を運んでいた。とにかく何かにすがりつきたい一心だったと思う。50ほどの問診を記入し、先生に自分の現状を切れ切れながらに打ち明けた。
診断結果はうつ病の一歩手前、抑うつ状態というところだった。

あ、わたし病んでるんだ、と初めて弱い自分を受け入れることができた瞬間だった。
自分の現状を客観的に知ることができて、何より安心した。弱い自分を知ることで、自分を大事にする生き方を選んでもいいのだと、背中を押すきっかけになった。
それからどうしたのかというと、結果として塾の会社は退職した。ただ、診断結果を受けてすぐ退職したわけではなく、2年勤めて退職した。

2年も続けられたのは、メンタルクリニックで自分の弱さを受け入れられるようになったあの瞬間があったからだと思う。無理矢理前を向いて、元気でいることをそれ以来私は止めた。弱い自分を許せるようになった。自分を甘やかせるようになってから、ゆっくりではあるけれど、人生をより大事に、味わって歩き出せるようになった。
現在私は転職して、IT関連の会社に勤め、休日を充実させることにひたすら精を出している。

冒頭で述べた、心の弱さを表す様な言葉たちを耳にしたり、目にすると、まだドキッとするときがある。弱い自分が責められているんじゃないかと思うときがある。
でも私のように、弱い自分に足を止めて苦しんだり、葛藤したりする人がいるんだな、一人じゃないんだな、と安心できるようになった。
なんだか心が疲れたり弱っているな、と感じているみなさん、一人じゃないですよ。
みんなで病めば怖くない!