私がずっと向き合うことから逃げていた事件がある。いつか文章に残さなければと思っていたが、向き合うことでメンタルの調子を崩すことが怖かった。
「かがみよかがみ」で、ぴったりのテーマの募集が始まったのを見つけて、思い切って筆を執る。
投稿にあった、見覚えのあるクリニックの写真。胸騒ぎがした
忘れもしない、2021年12月17日。母からLINEが届いた。
「今日大阪行ってないよね?」
その年の4月まで大阪に住んでいた私だが、そのときには名古屋に転居していた。大阪で何か大きな事件でもあったのだろうか。
「うん、行ってないよ。安心してね」と母にLINEを返す。
その後、いつものルーティーンでTwitterを開く。きっと大阪の事件の情報もTwitterのトレンドに流れてくるだろう、そう思った。
ああ、大阪のビルで大きな火事があったんだ、とても怖くて痛ましいことだ。
確認してタイムラインに戻ると、誰かのリツイートで、非常に見覚えのあるビルとメンタルクリニックの看板の写真が上がってきた。どうもメンタルクリニックが火元のようで、一番黒く焦げている。
私は胸騒ぎがして、言葉を失った。
それは数年前まで、自分が通っていたクリニックだったからだ。
しばらくして、各報道機関によって、院長を含めた26名が命を落としたこと、出火原因が放火だったこと、容疑者はクリニックの患者の男性で、彼自身も命を失ったことが報道された。
何度も話して、顔も知っている院長の西澤先生が亡くなったこと、その他にもスタッフや患者の方々が大勢亡くなったことに、私はショックを受け、ひどく落ち込んだ。胸がぎゅっと苦しくなり、悲しみで頭が痛くなり、しばらくニュースを見るのはやめた。
診断を受けながら泣く私に「休みましょう」と言った先生
西澤先生は朴訥なお人柄だった。報道によると、仕事で悩む人のためにクリニックを開業されたらしい。失礼だが少し不器用な印象もあり、なんとなくだが、ご自身も職場の人間関係等で悩まれて、同じような人たちを助けるためにこの仕事をされていたのかな、と想像した。
私もご多分に漏れず、仕事で悩んで、西澤先生のクリニックに駆け込んだ患者のひとりだ。
夜遅くまで開いているそのクリニックは、残業続きの日々でも通うことができて本当にありがたかった。そこで発達障害と診断され、自己理解へとつなげることができた。
また、いよいよ仕事が苦しくなり、しくしく泣きながら診察を受け、「適応障害なので休職しましょう」と診断書を書いてくださったことを、今でもよく覚えている。おかげさまで、休む時間と自分と向き合う時間ができ、その後障害者雇用で働くことにつながった。
実は西澤先生の早口の関西弁が東北人の私にはうまく聞き取れず、転職して残業もなくなったため他のところに転院してしまったのだが、非常にお世話になった、印象に残る先生だった。
先生だけでなく、そちらにはカウンセリングでお世話になった心理士さんがいた(カウンセリングの話は以前「かがみよかがみ」にも掲載頂いた)。なんでも話すと受け止めてくれる、とても優しい女性だ。彼女の安否がわからず、鬱屈とした日々を過ごしていたが、先日ネットを通じて連絡を取ることができた。
無事が確認できてほっとしたけど、事件があるまで勤務されていて、たまたま休みで難を逃れたそうだ。そのことを知り、私は余計なことを言ってその先生を傷つけていないだろうかと、ずっと心配に思っている。
元気になることが恩返し。いつまでも落ち込んでばかりいられない
亡くなった患者さんの多くは、また元気に働けるように、リワークプログラムに参加していた人たちだ。前向きで未来のある人たちだった。診察で訪れて被害に遭われた患者さんだってそうだ。元気になるために、前向きに生きていくために診察に来ていたんだ。
こんなに多くの人を巻き込んで傷つけて、犯人のことは一生許せない気持ちだ。できることなら、どうしてこんなことをしたんだって問い詰めたい。だが容疑者も亡くなっていて言葉を聴く機会が失われたため、余計な憶測は差し控える。
転居した先のクリニックで、主治医にこの事件で気分が落ち込んでいることを相談した。新しい主治医もとても優しく、腰の低い丁寧な先生だ。先生がこう言ってくれた。
「ひとみさんが元気になることが恩返しです」
この一言が心に残った。そうだ、いつまでも落ち込んでばかりいられない。西澤先生だって、私たち患者が元気になることを望んでいるはずだ。頑張るから見ていてね、先生。
最後に、この痛ましい事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。ご遺族の方々も、どうかご無理はなさらずに、どうか生きていってください。それが西澤先生の元患者の祈りです。