進路は順調だった。第一志望の高校に入り、第一志望の大学に入学した。卒業したら福祉の専門家として、自分と同じように病気を抱えて生きる人たちの生活のサポートがしたいと思っていた。そんな私は大学生活一年目を終える春、中退することを選択した。

校も大学も全て希望通りに進学してきたが、決して平らな道ではなかった。何度も入院し、出席日数がギリギリになる中、這いつくばるようにして学校に行った。授業を休んで遅れてしまった分を取り戻すのに必死で、寝る以外の時間は勉強のことばかり考えていた。

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難病を抱えながらの学校生活は壮絶だった。何度も死ぬかもしれないと思ったし、死にたいとも思った。しかし、当事者であるからこそ、同じ境遇にいる人たちの気持ちは痛いほどわかる。

自分が勉強して福祉を提供する立場になれば、自分が感じてきた不便さや、当事者が求めていることと現在の福祉が提供しているものの間にある溝も埋められるのではないかと信じていた。その思いを支えに必死に勉強していた。

それでも、大学一年目の終わりには、私は退学することに決めた。もともとギリギリで送っていた学校生活。高校よりさらに遠い距離の大学に通うには体力が持たなかった。救急搬送され、緊急手術し、先の見えない入院生活となったのが大学一年の冬。大学生活を続けている自分の未来は描けなくなっていた。

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病院を退院して退学手続きをした。不思議と悔しさや悲しさはなかった。むしろ、どこかほっとしている自分がいた。体調と学校生活を両立させることも大変だったが、大学で勉強すればするほど、自分が求めていた福祉と、社会が与える制度の間にズレがあることを何度も実感することになり、ずっと息苦しく思っていた。

そこから一度離れて自分と向き合う時間が取れることが嬉しかった。一度離れてみて、やっぱり勉強が必要だと思えばまた戻ってくればいい。これは未来に進むための選択だ。素直にそう思えた。

大学を退学して少し体力が戻ってからは、今まで以上に精力的に動き出した。難病患者を対象にしている就労支援施設に聞き込みに行ったり、フリースクールに問い合わせをして話を聞かせてもらったりした。同じく病気を抱えて生きる人たちと交流し、当事者の中で本を作る企画などにも参加させてもらった。そんなことをしながらも、相変わらず体調には波があり、全く動けない時期もあった。自分で道を切り拓いていく、なんてかっこいい感じではなく、流されて、波にも揉まれて今ここにいるという感じ。

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そんな私は今、障がい者の支援に関わって働いている。学生時代に思い描いていたような道のりではなかったが、福祉に関わることができている。充実感のある毎日を送っている。

あの時の大学を辞める選択が正解だったのか、その選択を自分で正解にしたのかはよくわからない。でも、大学を辞めたにしても、行き続けていたにしても、私は結局福祉の道を追い求めていたと思う。根本にあるものが揺らがなければ、どんな選択も失敗ではないのかもしれない。