「プライドとか考えちゃって言いづらいんだけど、社会人として挨拶したほうがいいよ」
これは実際に同僚から言われた言葉だ。この「プライドとか考えちゃって言いづらいんだけど」の部分を私は「枕詞」と名付けている。
この同僚が本当に言いたい言葉は「挨拶されなくて傷ついた」。でも、直接そうは言えないから「挨拶したほうがいいよ」と一般論として言う。ついでに説得力をつけるために「社会人として」とつけ加える。
そして、最後の枕詞。これは、まるで私のために言葉を柔らかくするために言っている、と他の人は思うかもしれない。でも実際は違う。言った本人の罪悪感を消すための言葉だ。私はこれだけ慎重に言葉選びしていますというアピールだ。この枕詞を付けられた側の人間は、言った側が罪悪感を減らした分、二倍のダメージを負う。
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ちなみに私はプライドが高い。それも、とてもとてもとても、高いと自覚している。でも、いやだからこそ、人が傷つく言葉には敏感で、絶対に相手を否定する言葉を使わない。いつも笑顔で下手に出て、思っていることをほとんど言わず、相手のことを肯定しながら生きている。そうすると必ずと言っていいほど、一つの団体に一人はこうやって上から目線でものを言ってくる人間がいるのだ。もちろん不快に思うし、後に謝罪があっても一生許すことはない。私はそれくらいプライドが本当に高い。あの人はプライドオブエベレストだから、なんて悪口を言われていた人が昔いたっけ。おそらくだが、その人よりずっとプライドが高いだろう。
上記の同僚の言葉を、私だったらなんて言うだろう。
「いつも挨拶してくれていてめっちゃ嬉しい!私なんて空気だから中々気づいてもらえなくて。〇〇ちゃん優しいね!」と言うかもしれない。もちろん本音は、挨拶しろよ、である。
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さて、相当、この言葉やその後この子から浴び続けた言葉に参った私は、会社の先輩に気がついたら相談していた。こんな言葉を言われすぎて、何をするべきか、体が先に反応して動いていた。
人事から処分、とまではいかなかったが、先輩は、直属の上司から役員まで話を通してくれていた。私が怒っていることに気がついた同僚も、私への態度が柔らかくなった。怒りはいまだにふつふつと湧いてくるし、許すことはないが、無事に会社生活を送れている。
素早く対応できたおかげで会社を辞めずにすみ、傷も浅くすんだ。それでも、この事件がなかったら回ってきた仕事もあったのではないかと、絶望感に襲われる時さえもいまだにある。
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これだけ素早く動けるようになったのは、あまりにも似たように、バカにされた経験がありすぎたからだ。本能で誰を味方にするべきか、誰に相談するべきかが瞬時に判断できるようになった。これはもはや生物学的反応の「反射」である。
私の仕事内容は論理的に組み立てないとやれないことだ。だから、自覚こそないものの、どこか私も論理的なところがあるんじゃないかなとは思う。また、世の中には自分は論理的だと豪語する人もいる。私もそういった自慢げな人に何度も出会ってきた。ただ一つ忘れてはならないことがある。その人が論理的かそうじゃないかは関係なく、人間とは、感情で動く生物であるということだ。どれだけ論理的な人でも、最後は感情に左右される。そこを勘違いしては、どれだけ優秀でも機会を詰んでしまう。だから私もとても気をつけている。怒りとか、不快感とか、私の些細な気持ちは必ず言葉に乗って伝わる。だからこそ、相手に要求する時は、感情のコントロールには気をつけて話す。
危険を察した時の反射反応は覚えたらしい。問題はその反射反応に気がついてしまったという点だ。無意識にやってきたからこそ動けていたところがある。意識的になってしまった今、次に問題が起きた時、適切な対処ができるだろうか。