金曜日のレイトショーを渋谷で鑑賞し、終電間近の地下鉄に乗った。金晩での飲みを楽しんだ人たちで溢れている電車内、座ることもできず、ドア付近に立っていた私の目の前にフラフラのサラリーマンが立った。

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目は半目で、口は半開き。つり革に捕まってはいるものの、全体重を預けているのか足に力は入っていない。

この人大丈夫かな、と思いつつ、電車は出発した。揺れる電車に流されるように、サラリーマンもぐわんぐわん揺れる。まるでオランウータンだ。彼の近くにいた人たちが迷惑そうに顔を顰め始めた。

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一つ目の停車駅で、私が立っていた側のドアが開いた。出入りする人の妨げにならないように端に寄ると、サラリーマンも千鳥足で近づいてきた。ここで降りるのかと様子を見ていたら、どうやら降りるわけではないらしく、足場を車内に残しながら、顔だけホームに突き出した。

やばい、と察した私はその場から離れ、車両の真逆に移動した。心臓が嫌な音を立て始める。慌ててスマホを開いて、さっき見てきたばかりの映画の復習をした。意識をそっちに持っていかないと嫌悪感で気持ち悪くなりそうで。

しかしそんな努力も虚しく、停車駅を出発した直後、恐れていたことが起こった。車内でサラリーマンが吐いたのだ。幸い、私は車両の真逆に移動していたから現場を見てはいないものの、吐瀉物が地に叩きつけられる嫌な音をしっかり聞いてしまった。

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嘔吐した彼から逃れるように人の波が押し寄せてきて、流されるように私も隣の車両に移動した。それからは体の震えを抑えるように手もみをしたり、呼吸を整えるようにマスクの下で深く深呼吸をしたりして、やっとの思いで最寄り駅で降りた。それでも不快感は続いて、思わず父に電話をかけた。0時過ぎだというのに眠たそうな声で応答してくれたことを感謝している。

私は嘔吐恐怖症である。自分がノロウイルスに罹ったときも、なんとか吐かずに完治した。吐くくらいなら衰弱したほうがマシだと本気で思うくらいだ。
人の嘔吐を見ると鳥肌が立って呼吸が苦しくなる。体が震えて気分が悪くなり、生理的な涙が溢れる。嘔吐はそれくらい私にとって恐ろしいものだから、お酒に溺れて公衆の面前で吐く人の気が知れない。

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私自身、そもそもあまりお酒を飲まない人間であるから、お酒の沼の深さを知らず、歯止めが効かなくなる感覚を理解できない。それでも世の中には限界までお酒を含んで、公共の場で平気で吐く人間が多すぎると思うのだ。

あのサラリーマンは自ら飲んだのか、それとも金晩のノリで上司や先輩から無理やり飲まされたのか。いずれにせよ電車内で吐いたことはその場にいた大勢の人たちに知られたわけだし、嘔吐恐怖症の私に最悪の思い出を植え付けた。

恐らくお酒で吐いてしまう人は嘔吐恐怖症などではないだろうし、世の中にそういう感覚を持った人間がいることもあまり想像できていないのだろう。自己完結できる酔い方をせずに人を迷惑かける人間は、この先一生、水だけを飲んで生きてほしい。