今こそすべての方向音痴女子に問う。
「私、方向音痴なんです」と周りに言えていますか?かくいう私は生粋の方向音痴である。でも、周りになかなか言えていない。特に男性には、さらに言えば、他に女性がいる前で男性に「私、方向音痴なんです」と言うことができない。

なぜか。「方向音痴なの、私」ということで、「こいつ可愛い子ぶってるんじゃねえか?」と反感を買わないか心配だからである。「○○くぅ~ん、まよ方向音痴なの。だから地図読んで連れっていって♡」「ったく、しょうがねえなあ」というベタベタな甘え方は生涯したことはない。しかし、地図が読めずに同伴者に目的地まで連れてってもらったことなど数限りない。

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「男性の方が空間認識能力が高いから、地図を読むことが得意である」とどこかの本だかネットの記事で読んだことがある。つまり「地図が読めない」=「非男性的」=「女の子らしい」という式が頭をよぎる。私だけの偏見かと思っていた。しかし、私より地図が得意な姉にこのコンプレックスを話すと、爆笑し、「なんか分かる」との答え。少なくとも1人賛同者がいたのである。

ここで全ての方向音痴女子を代表して、私は声を大にして言いたい。可愛い子ぶっているわけでもなければ、地図を読むのが面倒くさいわけでもない。我々は、本当に地図が読めなくて!!!!!そして困っているんです!!!!Googleマップ先生よ、東西南北の方角とmで言われても分からん!「左」「右」「前」「後」と〇歩で、分かりやすく指示してくれ!!!と。

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29年間の人生を振り返れば、私の方向音痴エピソードは事を欠かない。なんせGoogleマップという現代の利器を右手に握りしめていても、道を誤るのである。以前自宅から1時間ほどの郊外のスーパーに友人と買い物に行ったときの話だ。買い物が終わり、近くに大きく有名な神社があると耳にした。よしそこに行こう!と友人で盛り上がったのは自然な流れである。

右手にはGoogleマップ。出発地点である現在地から、目的地を入力する。そしてルートを設定し、私についてきてと友人を連れて歩き出した。あれ?おかしいぞ?と思ったのは歩き出して10分ほど。赤線に従って歩けど歩けど神社には着かない。

疑問に思うも、地図通り(と私が思っていた道)を進んでいったら、大回りで一周し、出発地点に戻ってきてしまったのだ。結局神社は真逆の方向にあった。選んだ道全てが間違っていたのである。

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そんな私を育てた父は、私とは真逆の、「地図読める民(たみ)」である。今年で62歳になる父はスマホを持っていない。出かける前に地図をプリントアウトし、おおよその方角を頭に入れる。

そして意気揚々と出かける。読めないGoogleマップをなんとか解読しようと歩く私を傍目に、「大体こっちの方向に歩けば着けるよ。大体西の方だよね」と理解しがたいことを言い放つ。そこまで自信げに言うのであれば、とGoogleマップを閉じ、父に着いていくと、あら不思議、無事に目的地にたどり着くのである。

私の周りの「地図読める民(たみ)」は父だけでない。なんと悔しいことに婚約者もそうなのだ。彼の実家では、初物の果物を食べるときに東を向きながら食べる、という面白い風習がある。引っ越して間もなくまだ土地勘もないだろうと高を括っていた私だが、彼は迷うことなく「東だから、じゃあこっちの方角か」と一発で方角を見抜き、みかんにかぶりついた。私の方と言えば、どちらが東なのか分からないままなのに、彼はと言えば、あっという間にみかんを平らげているのである。

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最近の話であるが、同棲を機に引っ越した新たな地元では、ウォークラリーイベントがある。市内30余箇所のスポットをプリントしたマップがあり、それぞれのスポットに行きキーワードを集める。全て揃うと記念グッズがもらえるというイベントだ。ウォークラリーのマップだけ見て、あとは街中にある地図を頼りに、スポットを探す。

本当に困ったときは地元の人に聞くのもありしたが、スマホやGoogleマップ先生はこの時ばかりは封印。あっちでもない、こっちでもないと彼と色々なことを話しながら歩くのは、楽しいものだ。

しかし、彼も父と同じ民族なので、「だいたいこっちっしょ」と見当をつけて歩くのが、本当に「こっち」なのだ。私が道を選ぼうとすると、「いや、まよこっちの方角だよ」と訂正してくる。そして非常に腹立たしいことに、「こっち」がいつも正解なのである。彼の土地勘ばかり養われて、私は相変わらず東西南北でなく、「これ右?左?」のレベルから抜け出せないでいる。

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そんなGoogleマップさえ満足に使えない私であるが、人生にGoogleマップがインストールされたら楽なのになあ、と思うことがある。現在地である出発地点がどんな場所なのかを確認できる。目的地点を入力すると、ルートが設定され、どう生きたらいいかの最短距離を赤線で示してくれる。

そして、そこに行くまでどのくらいかかるか所要時間まで計算してくれる。きっと人生にインストールできたら、選んだ道が誤っていることはなく、最短距離と最短時間で色々なことを成し遂げられるのだろう。でもね、方向音痴な私は、多分それでも道を誤るから。そして、それは私でなく、「Googleマップ先生」が選んだ道だから。

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思えば道から外れまくった人生であった。難病、精神障害、4年間の引きこもり、2年の浪人、2年の休学、休職、強制入院など。正しいと思って選んだ道が、けもの道であったことなどザラだった。しかし、そのけもの道の道中の景色は、案外悪い景色ばかりでもなかった。

人生にGoogleマップはない。でも、もしあったとしてインストールしても、私のことだから、すぐに飽きてアンインストールしてしまうのかもしれない。地図などなくとも、選んだ道がけもの道でも、色々なことを乗り越えてきて人生勘を養った今の私なら「だいたいこっちっしょ」が分かるから。