もうすぐ今の会社に就職して3年目になる。すなわち社会人3年目。音楽家になることを諦めて、まるまる2年。先日、出身芸大の進路担当の職員さんから、「卒業して音楽以外の仕事について頑張ってる人に、毎年春に金メダルを配りに行ってる」と連絡が来た。そして職場まで、金メダルを届けに来てくださった。音楽の世界から見ると、私は割と異質らしい。すこし仕事についての話をしてから、首にかけてもらった金メダルを持って、「頑張ってくださいね」と帰る背中を見送った。

芸大出身者が辿るルートは、主にそのまま進学して演奏家目指すこと、教員や音楽教室などで指導したり、バイトしながら細々と演奏活動するなどで、私のように企業に正社員で入社する人は少ない。芸大出身者は世間的にはどのような扱いなんだろう。確かに就職活動中は、そのギャップのようなものを感じていた。異業種では良くも悪くも珍しい子として扱われていたが、音楽の他分野での就職になると手も足も出なかったことの方が正直、堪えた。演奏家になるには最上の学歴を持っている、にも関わらずだ。そしてそんなことを物ともせず、むしろ面白がって採用してくれた今の会社には、本当に感謝している。

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今、私はアパレル販売員をしている。弊社では半年に一回、新しいコレクションの発表があり、社員は全員、本社で行われる展示会に参加している。私も例外なく、その日は朝から青山の本社へ出社する。着ているのはもちろん、今シーズンの一番新しいお洋服。アトリエのあるビルが近づいてくると、見覚えのある洋服を着た、独特の雰囲気を持つ人たちが、ちらほらと目につくようになる。そう今から、不思議の森に迷い込むのだ。

展示会会場は、パリのコレクションで発表されたマスターピースがずらりとボディに着せられて立ち並び、その周りにはそれ以外の来シーズンのアイテムが所狭しと掛けられている。綿、ポリエステル、レザー、デニムにチュール…。色とりどりなありとあらゆる生地たちが、誰も見たことのない形に縫製され、世の中に出る瞬間を待ち焦がれている。それはまるで森のようで、そしてその洋服達を熱心に見つめている個性的な販売員達は、まさに妖精。神秘的であり、そして夢想的。その空間に紛れ込んでいることを、不思議で面白く思う。

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演奏する機会は、去年から毎年4月、母の友人の主催するピアノの発表会に、ゲストとして出演させてもらっている。働き始めてからは毎日練習するなんて物理的に無理なので、練習は主に休みの日だけ。その中で演奏できる可能性の高いものとして、ピアノはリストの「愛の夢 第3番」と、イングリッシュホルンでピアソラの「アヴェ・マリア」を選んだ。前日までバタバタ働いていて、当日の朝になってようやく緊張でえずいたりしていたけれど、本番は上々だった。どれも今できる最上の演奏で、学生の頃に磨いたスキルのお陰で、それなりにできていたらしい。

演奏が上手くいったことで、私のストレスレベルが驚くほど少なくなったことが、翌日の仕事中にわかった。体が軽く、頭の中がスッと整っている感じ。もしかすると、仕事をしながら演奏活動すると、私の生活は安定するのかもしれない。それは大学生の頃に音楽史の授業で習った、「マイスタージンガー」みたいだと思った。マイスタージンガーとは、中世ドイツで生計を立てる職業を持つ傍ら、音楽家としてもプロとして活動できる人たちの呼称である。私もアパレル販売員として生計を立てながら、音楽家としても活動する。そんな生活が理想だ。

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人生の分岐点に立ったとき、きっと選択肢はたくさんあって、その時々に選ばざるを得ない道を選んでいる。それまでに得た荷物は、その時点で失くなってしまうわけでもない。背負うものは少しずつ重みを増して、道に迷うときには道標になったり、灯台のように誰かに光を届けたり、そっと導いているはず。選ばなかった道に進んでいると思っていても、きっと何もかもが正解で、全てが行くべき道だったはず。