みつみちゃんのお母さんって優しいよね小学生の時クラスメイトに言われて初めて気がついた。そう、母は私にひたすら甘いのだ。
歳の離れた兄が2人、どうしても女の子が欲しい、そういう想いを受けて誕生した私は家族、特に母親からちやほやされて育った。少し難しい諺を使えれば天才、髪を切ったら女優さん、怒られた記憶はなく、何の不自由もなく育てられた。

なんの不自由もなく?それは本当だろうかと自分に聞き返す。

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母の理想の娘は、ピアノが弾けて、いつもニコニコして明るく、友達の輪の中心にいるような女の子。実際の私は勉強が好きで本の虫、口下手で無愛想な女の子、ピアノはいつまでたっても下手だった。
そんな私を見ていないかのように、母は次の合唱祭では、みつみちゃんが伴奏かしら?と驚くような妄想を口にしていた。買い物に行けば、がっちりした体格の私には全く似合わないふわふわしたパステルカラーの服を渡された。少年ジャンプを読んでいたら、別冊マーガレットを渡された。

クリスマスケーキもあったし、お小遣いも十分渡されていたし、経済的な不自由はなかったけど、母の期待と実像とのズレに、お互い気づかないふりをして過ごしてきた数十年は、やはり私にとっては自由ではなかったように思える。

転機は結婚。母の望み通り大企業の一般職として勤めていた私は、有名大学を卒業したエリートサラリーマンと結婚すると信じられていた。でも、私が選んだのはいわゆるエリートとはかけ離れた人だったので、母はひっくり返った。

なんで!そんな人と!母は彼に会う前から怒りと動揺で泣き崩れた。ここまで否定されるのは想定外で、私としてはショックだった。立派に働いていて尊敬できるし、家事も得意で協力できるし、何より私が幸せになるためだよ、という当たり前の理由が通じないのはなぜだろう?

のんびりすぎる私が、母と対立する覚悟を初めて持てた瞬間だった。この選択だけは引けない。結局、彼と会ううちに母も軟化して結婚に至ることになり、結婚から10年近く経ったが、やはり私のパートナー選びは間違いではなかったと今でも思う。

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実家とは別に私の家庭がスタートしたことで、母の娘という人生から、少しずつ自由になってきた。仕事も以前から興味のあった分野に転職し、キャリアとしても遅いスタートを切った。

しかし、30年、ずいぶん長い間自分の人生と向き合うのを避けてきてしまったと思う。母のせい、そう他責的に思えるほど若くはなく、私自身の勇気や努力不足の結果だ。そして、今気づくのは、母も懸命に娘の良い母を演じて来ていたのだろうということ。私の友達が家に来たら手作りのおやつと優しい笑顔で迎えて、ピアノの先生にも付け届けを欠かさなかった。母は母で「娘のための人生」を生きてきた。

そんな母に、もっと私を、私のままで見て欲しかった、そう伝えるタイミングは今後もないかもしれない。でもお互いに歳を重ねてきた今、母と娘という役割を超えた関係を築いていくことは出来るのではないだろうか。何となくその日も遠くない気がしており、肩の力を抜いて会話できる日が楽しみでもある。