高二の夏。学習塾の自習室で青チャートを広げ、大学受験にむけ本当に目の前の勉強のことしか考えていなかった高校生活の最後半。

「〇〇国公立大学の経済学部にいきたい」

高一の時に参加した学校外のとあるエコノミクスプログラムをきっかけに、私の中で「経済学部にいって、世の中のお金の流れを勉強すること」は、強烈な憧れや願望になった。それからのこと、早速塾に入塾し、毎日、追いつけ追い越せで自習室で勉強に熱中するようになった。

頑張れば頑張るほど、大学生チューターや講師陣たちに応援の言葉をかけられる。頑張れば頑張るほど、廊下にある成績上位者の名簿や今週の受講数ランキング表に自分の名前が掲載され始め、私はますます勉強のとりこになった。
とにかく勉強をこなして、目の前の点数が上がってくのが中毒のように楽しかった。目に見える形で点数や勉強時間が伸びると、周りのチューターたちからも褒められていく環境が、私のやる気を際限ないものにした。ある意味、あんなに一つのことに夢中になったのは人生初で、毎日があっという間に過ぎ去っていった。

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一年後、私が入学したのは経済学部と関係のない、国際関係系の学部だ。
とりこになった受験勉強は、決して順風満帆ではなかった。センター試験前は、ストレスで左目が見えなくなったこともあったし、経済学部に行きたいにも拘らず、あまり数学のできなさに、ふとした瞬間に涙が止まらなくなったり、自己肯定感が下がり焦る一方で、ストレスで生理不順だったり、一睡もできず激太りしたりもした。

今思えば、誰にも弱音を吐けず、よくあんな状態でまともに生活を送れていたな、と思うような日々を送っていた。やはり、自分は元が明るい人間だから、なんとかもっていたんだろうなと今振り返ると思う。

そんなこんなで受験本番を迎え、勉強したができなかった数学受験で国際関係の学部に入学した。
他の同級生が晴々と大学デビューするも、私は猛勉強したのに結果が一切ともわなかった受験結果に悔しさや自分自身への絶望を感じながら、国際関係の授業を受け始めた。はじめて「多文化相対主義」の話を聞いた時も、ほとんど中身が入ってこなかったのを今でも覚えている。

「世の中には多分勝ち組と負け組がいて、自分は努力しても勉強できない、しょせん負け組の人間だから…」そう思いながら過ごしていた。

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大学入学してから4年後、社会人になる春には、私は別人のように明るく満たされ人間に生まれ変わっていた。新卒の就職では、念願の会社で希望の部署で働けることが決まったのだ。周りのご縁と自分の大学4年間の行動力が巡り巡って認められ、その当時の全ての希望が成就したのだ。

悔しさというより絶望から始まった大学生活だったが、今度は希望の会社・部署で胸をはって就業を開始できる。そんなチャンスをつかんだ当時の自分や採用してくれた方に感謝し、今でも私は当時の自分を褒めて、抱きしめてあげたい。

あの時の踏ん張りや粘り強さや意地がなければ、いま、私は今の精神的に豊かな人生を歩んでいないと思っている。