磁石の同じ極を近づけると、お互いに反発しあう。まるでわたしと母親のように。

周りの友人たちは、自分たちの母親と仲が良かった。ある子は母親に恋愛相談し、ある子は母親のことを同年代の友達かのように名前で呼び、ある子は母親と休日に2人でショッピングに出かける。
わたしはと言うと、リビングで顔を合わせれば口論の毎日。特に小学高学年にもなれば、少し早い反抗期がやってきて、父も妹も弟も、わたしたち2人を止められなかった。

元々心配性の母は、長女のわたしにたくさんの『ダメ』を押し付けた。
目が悪くなるから、ゲームは『ダメ』。
まだ子供には早いから、漫画やドラマを見ては『ダメ』。
勿体無いから、新しい服を買うのは『ダメ』。
家ではたくさんのダメに押しつぶされ、学校ではみんなが話しているゲームやドラマの話についていけない。どこにいても疎外感を感じていた。

行き場をなくした思いは、鋭い言葉に変わり、母を突き刺す。
「お母さんのところになんか、生まれてこなければ良かった」
「大人になったら、こんな家すぐ出てってやる」

◎          ◎ 

何がきっかけだったかは忘れてしまったが、小学6年生のわたしと母の2人でショッピングモールに出かける日が訪れた。ケチ(本人曰く倹約家)な母は、あの服が欲しい、あの靴が欲しいと言う娘のわたしの言葉には一切動じない。
母親と仲が良い友人に、少しの憧れと劣等感を抱いていたわたしにとって、このショッピングは貴重だった。でも、結局何も買ってもらえない。

何をしにここに来たんだろう。帰りたい。お母さんは、わたしのことなんてどうでもいいんだ。

母が急に雑貨屋さんの前で足を止める。

「このキーホルダー買おうかな。あんたも欲しい?」

鮮やかな青色のそれは、とても綺麗だった。でも、欲しいかと言われるとそこまでではない。値札をチラリと確認すると、安物でもなかった。

「いらない

欲しかった服を買ってもらえなかった、不貞腐れた気持ち。そこまで欲しい物でもないのに、お金を出してもらうのは申し訳ない気持ち。それだけだったけど、母は
「わたしとお揃いは嫌なんだね」

そう言って1人分のキーホルダーをお会計に持っていった。

その日の夜、わたしは1人シャワーで涙を流した。
本当はわたしだって、友達みたいにお母さんと話したい。
一緒に楽しくショッピングをして、過ごしたかっただけなのに。

◎          ◎ 

あれから15年。宣言通り早々に実家を出て、今は1人暮らしをしている。実家を離れてから、母親とは良い距離感を保てている、と思う。
制限されすぎた後遺症で、今でも母親にはほとんどのことが事後報告だ。仕事を辞めた時も、当時の彼氏と同棲を始めた時も、引っ越しをした時も。大人になったからもう自由だとわかっていても、母の『ダメ』が怖くて事前に相談や報告ができない。

それでも実家に顔を出した時は、お米やおかずを持たせてくれる。駅まで車で送ってくれる。夜ご飯に何が食べたいのか聞いて用意してくれる。
顔を合わせれば口論していた頃には、想像できなかった未来が待っていた。
そして何より嬉しいことは、14歳離れた妹と母親はとても仲が良い。
きっと長女のわたしの時は母も1年生。どうして良いのか探り探りだったんだと思う。
妹が母と仲良く過ごせているのなら、あの頃わたしたちがぶつかり合った日々も無駄ではなかったのかな、と思っている。

「駅まで送るよ」

そう言って母が手にした車のキーには、今でも鮮やかな青色のキーホルダーが輝いている。