「1人暮らししないの?」

同僚たちの何気ない一言が、心に刺さる。

彼女らは知っているのだろうか。世の中には普通に見えても普通に生活できない人がいて、私も例に漏れずその当事者であるということを。

言われても無理はない。1人暮らしをしてもおかしくない距離を、通勤時間に充てている。同僚達の多くは1人暮らしをしているというのに、私は断固として実家通いを続けている。マザコン?箱入り娘?そんなこと言っている集団もあったっけ。

無理はないよね。一般女性の平均以上の給料を稼いでいるのだから。そして、第二の通帳に障害年金を頂いているのだから。

ここまでの文章をお読みいただいた皆さんは、私が普通の人ではないことが分かるだろう。端的に言うと、私は外見からは判断が付かない障害を持っている。てんかんと自閉症スペクトラム障害を患っており、精神障害者福祉手帳を所持し、年金を頂いている。

そして、私にはもう1つ大きな病気が隠れている。複雑性PTSD障害。これは、持続的な虐待やDV等といった長期反復的なトラウマを体験した後に見られる症状で、再体験症状(フラッシュバック)に突如として襲われる。

なぜ私がこの症状に悩まされているかについてだが、幼い頃に受けた母親からの教育が原因である。

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私は1993年に、比較的所得の高い大卒両親の長女として生を受けた。幼い頃からマイペースで、周囲との協調が求められる遊びには関心を示さず、ブランコや折り紙といった1人でする遊びが好きだった。母親は発育に問題があるのではないかと疑問を感じ、病院巡りが始まった。

発達障害があることが分かったが、そこからが恐怖の始まりであった。

小学校に上がると算数の勉強を押し付けられ、解答できなかったり間違った答えを言ったもんならバシッと顔をたたかれ、出来損ないだと怒鳴り付けられた。中学生になると部活動選択に口を出し、入部後もしばらくは転部しろと口を挟まれた。高校時代は進路選択に口を出し、ブスは資格を取れと言い放った。

しかし、1人暮らしをさせるのは嫌なようで、「お前に1人暮らしなどできるはずがない」と、これまた侮辱という手法で支配下に置くことを望んでいた。一方周囲は両親に愛され、家族で出かけた話を幸せそうに話しており、世の不平等を恨みながらの高校生活を送っていた。そして受験の真っ最中だった18歳の時、てんかんを発症した。

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そんな私は両親の反対を押し切り、1人暮らしをして文系の大学に進学した。そこで研究に目覚めた私は、学部・大学院合わせて269単位取得し、教員免許を始めとした4つの資格と修士号を取得し、27歳まで学生を続けた。

しかし修了して手元に残ったのは、27歳職歴なしという非常に不利なハンディキャップだった。

抱えているものの大きさに気づかず、受験も就活も何もかも健常者との間で闘ってきたが、万が一のために障害者手帳を取得することを決めた。最初は取れても3級にしかならないだろうという見通しであったが、まさかの2級内定で、年金を受給できることになった。

就職してからは、学生時代のような競争にさらされるようなことはなく、お給料を頂けることから、プレッシャーやストレスといった類のものがなくなった。

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社会人生活も4年目となり、安定した貯蓄を得た今日であるが、私は1人暮らしをすることができない。

第一に、私は非常に病弱である。これは発達障害者あるあるだが、健常者と較べて身体が弱く、過敏性腸症候群を併発することが多い。私自身も当事者で、その他に風邪をひきやすかったり胃腸炎になったりと、1ヶ月のうちの1週間は何らかの体調不良に襲われる。実家通いでなければ休んでいただろう出勤日が3日ほど存在し、有休も体調不良による突然の取得が断然多い。

第二に、将来への不安である。前述したように私は病弱で、周囲の同僚と比較して失職するリスクを少なからず抱えている。万が一のためにお金は貯蓄しなくてはいけない。

私は以前、職場の方に過去の親子関係を聞かれ、「いや、何もありません」と答え続けたことがあった。無意識にこぼれ落ちる涙を見せぬよう俯きながら返答したが、バレバレだったようで、実家に住むことを反対された。他の職員には、てんかん発作の発症は、家庭環境による二次的な要因によるものではないかという意見を頂いた。

けれども私は上述した理由により1人暮らしをすることが出来ない。逃げるべき関係であったとしても、それをすることができない。

身体的虐待やDVといった保護の対象となるものでもなければ、金銭的な不安もある。どの支援にも当てはまらない宙ぶらりんな存在だ。

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だが、私は家庭内の状況を聞かれてもここで書く以外は基本隠し通している。なぜなら両親、とりわけ母親に罪を着せることとなるからだ。

生まれた家が異なれば、無償の愛を受け、子どもの頃から幸せを感じることが出来たかもしれない。だが、育ててもらった恩もある。私が27まで学生でいられたのも、年金を受給できたのも、全て優秀な両親のお陰だ。

だから、私は自分の生まれ育った家を、母親を恨むことができない。寧ろ周囲からは、我が家は羨望の眼差しを向けられている。単身女性の3人に1人が相対的貧困と言われる中で、2人姉妹の我々は公務員と看護師だ。普通に自己紹介をしたつもりでも「公務員と看護師なんてすごいね」と、聞かれる人のほぼ全員に言われるのである。世間一般でいえば比較的エリートな我々を、誰も問題視することはないだろう。

逃げるべき状況なのに支援の対象とならず、会話をしない限り誰にも問題視されず、障害があって逃げられない私は社会の最底辺なのかもしれない。だからこそ声を大にして言いたい。

助けてください!