「就活、本当にやりたくないんだけど」

成人して丸1年、年齢こそ大人であるものの、まだ子どもを卒業しきれていない大学4年生の私は、ようやく自分の信念を見つけつつあった。

「多数派に流されたくない」「たとえその道を選ぶのが私だけだとしても、自分が正しいと思った道を信じて進みたい」そんな想いが確立してきた中で迎えた就活は、私はすごく嫌でしょうがなかった。

みんなと同じようなリクルートスーツを揃えて、就活解禁日の3月にしては心なさすぎるキャメルのトレンチコートをはおり、買ったばかりの硬いパンプスを履いて慣れない道をコツコツと歩く。前髪はピンで止めるからもう少し伸ばせばよかったとか、ワイシャツの丈が短くてパンツから中途半端に出てしまうとか、これから出会う社会人からの見栄えばかり気にして作った身なりは、同じくこれから就活に向かう人との個性をことごとく消し去っていく。

東京駅から新卒対象の合同説明会が行われる幕張メッセまで、大量の就活生を運ぶバスの前には、個性を消された就活生たちが長蛇の列を作っていた。

本当にくだらない。大人って、この方法でしかなれないの?

◎          ◎ 

特にこれといった夢も、やりたいことも無かった私。それでも「みんながやっているから」「ちゃんと就職しないと、大人としてやばい」という社会の波に流されるがまま、よーいドンでみんなと同じ、3月1日から就活を始めた。

自己分析や業界研究もそれなりにきちんとしたし、1週間で面接を5件入れたこともあった。「とりあえず30社くらいエントリーしとけ」という根拠のないアドバイスを振り払い、熟考してエントリーは10社に留めた。

そしてありがたいことに、ほぼ半分は手応えのある状態だった。「就活うまくいってていいね」周りからはそう評価される状態だったと思う。
それでも、私の就活に対する嫌悪感が消えることはなかった。

就活が始まって2ヶ月ほどが経過した5月上旬、ワイシャツ1枚でも汗ばむ陽気に「ジャケットは手に持って行きましょう」という面接のアドバイスを言われ始める頃、私の就職活動は完全に止まってしまった。

今まで抱えてきた小さな不満がついに爆発したのだ。
私は毎朝スーツを着て満員電車に乗りたくない。毎日同じ時間に出社して退勤して、金曜日がくれば「明日は休みだ!」と喜び、月曜日の朝がくれば「また1週間仕事か……」と憂鬱に思う人生を送りたくない。

◎          ◎ 

大人になるにつれて自由が増える。それはこれから、自分の人生は自分で選んでいくことを意味しているのに、このままだと結局誰かが敷いたレールをみんなで一緒に辿っているだけじゃん。そんな大人に、そんな自分になりたくなかった。

不満をひと通り並べたところで、自分の好奇心ががむくむくと湧いてくる。
国内外、いろいろな場所に行きたい。大学で学べなかった農業の勉強をしたい。高校時代に心を痛めた、食糧問題に携わる活動がしたい。小学生に上がる前から触れてきた音楽も、学生時代から頑張ってきた勉強も、何も諦めたくなかった。

けれど手を止めて1週間、あることに気づいた。

所詮私は今までの人生、学生しか経験していない。働いたといってもアルバイトで、稼ぎはたかが知れている。人として自立できていない大人がどれだけ欲望をほざいたところで、誰も対等に扱ってくれないだろう。
私はまず、社会人になるしかない。この欲望を堂々と宣言できる立場に、私はならないといけない。言いたいことはそれからだ。

◎          ◎ 

そう決心してからの就活はあっという間だった。行きたい会社を2社に絞り、最終的にご縁のあった飲食業界の会社から内定の電話をいただいた。清澄白河のカフェで当時のパートナーと冷たいカフェラテを飲んでいた、6月の終わりのことだった。

一度は就活をめたいと強く思ったが、就活はめないでよかった。学生時代にあれほどの企業の人事と話ができる機会はそう無いし、何より就活の自己分析を通して自分を見つめ直すことができた。

そしてあれから5年経って大人になれた今、就活のときに湧いた欲望をひとつずつ叶えに行っている。

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