母親に言わせれば、子供のころの私は「宇宙人」だったらしい。何に怒っているのか、何を考えているのか、何がそんなに面白いのか、自分の生んだ子にしても母親には全く分からなかったらしい。

たしかに、今だから認めて言えるが、私は生まれてから親元を離れるまで「万年反抗期」だった。自分でも何がそんなに嫌だったのか、イライラするのか、言い表しようもないが、とにかく両親のすべての言動に反抗していたように思う。派手なエピソードこそないが、とにかく母親にはたくさんいろんな暴言に近い言葉を浴びせたと思う。

大人になった今ではお酒のあてになるような話ばかりで、一緒にお酒を飲むと母親はなぜか楽しそうに当時のことを話す。一緒に笑いながら話せるようになってよかったと思うが、それでも本当に思う、当時はごめんね。

親元を離れたのは18歳の大学進学の時。それまで「こじらせ宇宙人反抗期」の私は、親元を離れ1人暮らしすることに心からワクワクしていたが、親元を離れてから、すぐに実家を思い出すことが増えていったのは事実だ。

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人にはそれぞれ、言われて嬉しい言葉があると思う。可愛い・面白い・料理上手・面倒見がいい…私が今までで言われて嬉しかった言葉は「貴方の弾くピアノが好き」「言葉選びが好き」の2つである。

容姿を褒められるより、性格を形容して褒められるより、印象に残って嬉しく、言われた場所も状況も声色も思い出せるくらい、私の神髄に染み渡った。

どちらも母が教えてくれた習慣だった。3歳から始めたピアノ。練習嫌いな私は嫌で嫌で仕方がなかったが、気づけば好きになり、今でも1人暮らしの部屋に電子ピアノを買い、続けている。母には恥ずかしくて言えないが。

言葉選びを育んだのは読書の習慣だと思う。小さいころから母の読む絵本が好きだった。そこから図書館通いの小学生時代、がり勉と思われるのが恥ずかしく読書好きと言えず、学校ではそんなそぶりを見せずに、休日には市営の図書館に通っていた中高生時代。

今は人目なんて気にならず、好きなように本を買い読んでいるが、なぜか学生時代は少し恥ずかしく、ひっそりと本を読んでいた。今では甚だ疑問だが。

小さい頃には毎日、寝る前に童謡を歌ってくれた。私があまりにもねだるから、1日2曲までと制約を決められてしまったが、寝る前に母が歌う童謡と、リズムよく叩かれる手が私を眠りにいざなう、そんな幸せな記憶が残っている。

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今になって思う。結局は今の私の個性・幸福を形成してくれたのは母親であった。

もちろんほかにもたくさん感謝している。どんなにお産が大変か。1人暮らしを始めて 1人分の家事ですら大変だと実感し、それを家族分、働きながらしてくれていたということ。大人になった私でもやはり母親にとっては子供で甘やかしてくれること。全部「普通」ではないことも。

私にとって、一番大切なことは、結局は私の幸福を高めてくれる神髄は母の影響であること。私はやはり母の子だな、と嫌でも常々実感せざるを得ないのだ、悔しいことに。

大人になってから気づくだなんて皮肉だが、多くの大人はそうだと思う。

今の私の楽しみは、実家に帰るときに私の最近読んだ本を数冊持ち帰り、母の最近読んだ本と感想を交えながら交換すること。母が夕飯の準備をするリビングで、自由気ままにピアノを弾くこと。なぜかその時の母の顔は穏やかで嬉しそうで、そんな顔を見られることが私の幸せであり、親孝行である。

あるとき持ち帰った本がすべて、母が最近買って読んだ本で2人で「なんでこんなに好みが一緒なの!」「せっかく重い思いして帰ったのに!」と皮肉交じりに笑い合った時間が言い得て妙に幸せだった。私はこの人の子供だな、と。

距離や時間が親子を形成したなんて、なんだかちょっと寂しいけれど、今の私と母親の距離感はとても穏やかである。ただ、これだけは事実で、確かに親子である。ただそれだけだ。それで十分だと、25歳を過ぎてやっと気づいた、万年反抗期だった恥ずかしい娘である。