ここ数年、若くして親の介護を担う必要がある人を指す「ヤングケアラー」や、障害を持つ兄弟を持った「きょうだい児」と呼ばれる人の存在が一気に可視化されるようになった。これは、SNSを通して個々人が声を上げやすくなったことや、マイノリティと呼ばれる弱い立場の人にスポットが当てられるようになった傾向によるもので、当事者を孤立させないという意味で非常に良い風潮であるように思う。

これらに該当する人の中には、受験勉強の時間が取れなかったり、進学や就職を諦めたりする者も多くいると言われている。

ある研究グループが行った高校卒業者追跡調査によると、調査対象者の中で親を介護する立場にある者は、男性が0人に対して女性が24人と、介護に関する比重が圧倒的に女性に偏っている傾向が明らかになっているようだ。この調査結果が記された書籍が2006年に出版されていることを鑑みると、この問題が長らく取り上げられず当事者が孤立していたことが窺える。

2015年頃から注目され始めた女性の貧困問題では、その背景に介護離職があることが報道された。これを機にこうした状況に置かれた方々への支援や制度が充実していくことを心から願っている。

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ここで一つ、疑問に思うことを取り上げていきたい。

現在、家庭内で起こる虐待が問題となっているが、これはきょうだいが複数人いた場合、必ずしも全ての者に平等に降りかかるわけではないことが分かっている。では、もし自身が被害を受けることで他のきょうだいを守っているとしたら、その被害当事者はなんと呼ばれるのだろうか。

私は、比較的所得の高い大卒両親の長女として生を受けた。2人とも真面目な人で、一般入試で大学に入学後は公務員試験や国家試験に合格し、仕事一筋で年を重ねてきた。気付けばろくな交際経験もないまま結婚適齢期を過ぎ、親戚の紹介で婚姻に至った。

近年の未婚率の上昇を見るに、時代が違えば自分は誕生しなかった存在なのではないかと感じてしまう。そんな両親のおもしろエピソードは運転嫌いで、結婚当初はともに車の免許がなく、田舎だというのに大きな買い物にはタクシーを使っていたという。そして現在でも「子どもができなかったら我が家に車はなかったかもしれない」というのだからこれまた爆笑である。

だから、周囲のクラスメイトが車でどこかに行ったと聞くと、寂しさを覚えることがあった。また、文化資本の高い両親から享受する文化は幼い私には関心が持てず、お笑いや音楽番組を楽しむ周囲の会話に入ることができなかった。

教育は主に母が行っていたが、小学生の頃からその有様は厳しく、髪を引っ張るような暴力や、モラハラとしかとらえられない暴言を毎日のように浴びせられた。年に数回体調不良を訴えると、それが本当であっても仮病だとか、管理が悪いだとか言われ放題の毎日だった。

身体が限界に達したのか、受験生だった18歳の頃にてんかん発作を起こした。

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そんなある日、母は男性アイドルグループのテレビを見たままこたつで寝てしまっていた妹をたたき起こした。
「本当にあんたは寝ることと嵐のことしか考えてないんだから」
あまりの面白さに私は寝室で爆笑してしまったが、その時ふと思うことがあった。私が現在怒られていないのは、妹が怒られているからだ。
そしてまた思った。妹が普段怒られないのは、私が常に存在しているからだ。

妹は勉強をしなくても、友達とどこかに遊びに行っても怒られない。妹には、私が常に怯えているフラッシュバックがない代わりに、心の余裕と幸福感がある。現在は看護師として働いているが、突然フラッシュバックに襲われるというような悩みは聞いていない。そもそもそのような症状のある者に集中力の求められる仕事などできない。私は知らず知らずのうちに妹を守っていた。

ふとした瞬間にそいつ(フラッシュバック)はやってくる。布団に入った時、のんびりと歩いている時、そして時にはお客さんの対応をしている時。

複雑性PTSD障害。長年蓄積されてきた悪夢が、無意識に襲いかかる。幸福を願われずに育った私は時に他人に攻撃的となり、悪人となる。

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人間とは、互いの幸福を願い支え合いながら生きていくものなのだと知ったのは、成人してからだ。けれども、教育によって幸せを手に入れた私は、その準備をしてくれた母親を完全に恨むことはできない。自身の症状が複雑性PTSD障害であることは間違いないが、母親を否定するのが嫌で、診断を受けるつもりはない。

「我々の親子関係に被害者はいない」そう結論付けている私がいる。どんなに苦しくても、やはり幸せを感じるきっかけを作ってくれた母を完全に憎むことはできないのだ。

家族を守る存在が、ヤングケアラーでありきょうだい児であるならば、自身が被害を受けることで他のきょうだいを守った私は何者なのか。何も知らない妹は、私が障害年金受給者であることを妬んでいるが、彼女には私に見られる症状が見られない。こうして抱えるものが複雑に絡み合うことで、時には周囲の反感を買いながら細々と生きていくのが私の運命なのかもしれない。そう思っている自分もいる。
私と同じ想いをしている人が孤立せずに、自身を肯定しながら自分を愛せる存在になりますように。そう願いを込めて、私はここに筆を執った。