私は、私の母親の「母親」としての顔しか知らない。
私の母は多くを語らない人だ。寡黙、というわけではない。
町内の集まりもPTAでの保護者同士の交流も、子育てがひと段落してからはパート先でも、人間関係を当たり障りなくこなしている印象がある。
ただ長らく専業主婦をしていた我が母は、もともと活動的な質でもなく、日がな一日家にいて、家事をしていないときはぼーっとテレビを見ているか寝ているか。
私が学校で起こったあれやこれやを取り留めもなく話すのを適当に聞き流してはたまに大人目線の茶々を入れてくる。
小さい頃はよく怒られていたから声を荒げる人、という印象があったが、私が長じて、社会生活を営む上での常識を身に着けてからはそんな姿も鳴りを潜め、そうなってみると逆に母は達観した大人、母「親」であると私の目には映るようになっていた。
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今回このエッセイを書くにあたり、母との思い出を振り返ってみたが、大学進学の為に実家を出るまで足掛け十八年一緒に住んでいたにもかかわらず私は驚くほど母のパーソナルなことを知らないことに気付いた。
まず生年月日が分からない。流石に母の年齢は知っているのでそこから逆算すれば生年はわかるが誕生日が分からない。我が家には子供の誕生日とクリスマス、正月くらいしか祝い事が無かった。
私と弟に誕生日があるのだから両親にも誕生日があってしかるべきだが、私たちが何より楽しみにしていたケーキが出ることも豪勢な夕飯が用意されることもない(家長だった祖父の誕生日にはそういえばいつもちらし寿司が出ていた。不思議なものである)。
自分用に~とか、両親がお互いに~とかプレゼントを贈りあっている形跡もなく、気が付いたら新しい一年が始まっていて、私が一つ年を取ったのだから母だって一つ年を取っているだろう。
そう認識していた。
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そういえば母の日も父の日も祝ったことが無く、他所のご家庭では結婚記念日まで祝うところがあるそうで、たまたま友人が数日後の両親の結婚記念日用の贈り物を買うのに付き合うんだという話をしたらその日がうちの両親の結婚記念日で慌ててプレゼントを買い求めたなんてこともあった。が。その日付も忘れてしまったので、私が興味が無いだけなのかもしれない気がしてきた。
趣味も、イマイチわからない。
日がな一日録画した番組を観ているから、テレビ鑑賞は好きなのかもしれないがいかんせん表情筋が動かないし、気付いたら寝ているので、好きで観ているのか惰性なのか判別がつかない。
車内でかかっているのは特定のアーティストだから好きなんだろう……多分。
母親のことばかりあげつらってきたが父親もそんな感じなので、親の世代というのは私たち世代に比べると「好き」の濃度がうっすらとしているのかもしれないな、もしくは、親になったら趣味なんてものは無くなるのかもしれないな、なんて思ったりしていた。
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しかし、そんな認識がここ最近変わりつつある。
私はこの一年ほど、某名作少女漫画にドはまりしている。転職前の有休消化中に何の気なしに観たメディアミックスに夢中になり、原作漫画を買い揃え、派生のゲームにまで手を出した。有休はものの見事に溶けていったが私の興奮は収まらず、気付いたら同好の士欲しさに勢い余ってXのアカウントを新たに開設すらしていた。
原作は完結して既に数十年の時が経過している。主なファン層はそれこそ私の親世代よりも少し上かそれくらい。SNSなんてほぼやっていないに等しいだろう。でもSNS以外に同好の士を探す方法もわからず大した期待もせずに作品名、キャラクター名と思いつくままに検索ワードを打ち込んでいった。
するとどうだろう、ネットの海には今でも盛んに交流を行うアカウントがたくさんあった。
しかもその多くは原作を連載時に追い胸ときめかせていた当時の少女たちときている。
ファン歴数十年の彼女たちの熱量はすさまじく、既に供給が途絶えて久しい原作の小さな一コマ、背景の描写、当時の習俗などありとあらゆるものを題材に日々考察や会話が繰り広げられ、どこから見つけてくるんだと思わなくもない小さなネット記事さえも即座に拡散される。
どこかで作品の催し物があると聞けば遠方からでも馳せ参じるそのフットワークは、一応若者、と区分される自分よりもよっぽど軽い。
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私は、自分の親、といっても過言ではない世代の彼女たちのアクティブさ、作品への熱量に舌を巻いた。そしてなにより趣味を全力で楽しむ彼女たちの生き方は私の中の親世代のイメージを大きく変えた。
人間、元気な時間長いな。さては。
同時に、私の母にも、もしかしたら私が見てこなかっただけでこんな風に全力投球している趣味があるのかもしれないな、なんて思うようになった。
私にとって母は母「親」だったが、親ではない母という一人の人間が確実にいるわけだ。
そんなごく当たり前のことに、母の子に産まれてうん十年以上が過ぎてやっと気付いた。
母という一個人に興味を持つことが私と母の距離感をどう変えるかはわからない。
でもそれが少しでも心地いい距離感であればいいなと思う。
そんなGW前である。