「まりちゃんって本当に『あれがしたい』とか『これが欲しい』が希薄だよね」
そう夫から常々指摘される私。だが唯一、毎年夏が近づいてくると「今年もやらなければいけない」と私を激しく駆り立ててくるとある欲望がある。
それは、冷やし中華だ。
数年前から、夏の気配を肌で感じるようになってくると「冷やし中華食べたい」と衝動的な欲が湧くようになった。「いま無性に◯◯が食べたい」といった類の欲も日頃そんなに湧かないタイプなのだが、何故だか冷やし中華だけは様子が違う。
「どうしようあーめっちゃ食べたい今夜絶っ対に作る」と、心の中にいるもうひとりの私が地団駄を踏み頭を搔きむしりながら叫び散らかす。その熱量のままスーパーに駆け込み、麺や必要な具材諸々を調達し、その日の夕食は晴れて冷やし中華となる。
誰に課せられたわけでもないけれど、重大な使命を遂行できたような気持ちになれて、作り終わったときの達成感は他のどの料理よりも大きく勝る。
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冷やし中華に心囚われる理由についてそこまで深く考えたことはなかった。衝動的な欲望って、きっとそういうものだ。ただ、作りたいから。ただ、食べたいから。
普通に生活している分にはそれだけで何も問題はないけれど、こうやって書き始めたのなら、今回はもう少し冷やし中華の魅力について想いを馳せてみようと思う。
あの涼やかな味わいは、やっぱり夏ならではのものだ。仮に、春や秋や冬に冷やし中華を食べても「美味しくない」とはならないだろうけど、やっぱりちょっと違う。コレジャナイ、否、イマジャナイ感がある。暑い季節に食べるからこそ、真の美味しさがより身体の奥まで染み渡る。
冷涼感のある食べ物なんて他にもあるだろうと思われるかもしれない。同じ麺類であれば、そうめん、ざるそば、ざるうどん。うん、確かにどれも美味しい。アイスはどの季節でも買うけれど、夏はシャリッとしたものがより食べたくなる。夏限定のアイスなら、私はガリガリ君の梨味が特にお気に入りだ。
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でも、それでも冷やし中華が群を抜いた存在感を放っているのは、その見た目の華やかさがきっと理由だろう。きゅうり、玉子、トマト、わかめ、薄切りハム……この辺りが定番の具材だろうか。玉子は、錦糸玉子なら他の具材とのバランス感が取れるし、ゆで卵なら大ぶりがゆえの食べ応えが感じられる。私はどちらも好きだ。カニカマや鶏むね肉を乗せたりするのも好きだ。
たった一品であそこまでの色彩を見せつけてくれる料理は、冷やし中華のほかにないのではないかと私は思っている。さっと茹でて冷水でしめたそうめんもするする食べられて美味しいけれど、その日の食卓の風景は何だかさっぱりしていてちょっとさみしい。
でも冷やし中華なら、盛りつけた皿をどんと置くだけでそこに目が引きつけられる。副菜もいらない。「あたしがいるだけで十分でしょ」と言わんばかりの圧倒的強者感。作るたび、その鮮やかな見た目に惚れ惚れとしてしまう。
具材を何種類も乗せているわりに、いずれも安価で手に入るのも魅力のひとつだろう。私は根がケチなので、こういう「安くて旨い」に基本的に目がない。なおかつ具材のほとんどが火を通さず、切って麺に乗せるだけで完結する。安くて旨い、そのうえ「早い」の要素もあるのだ。最高だ。
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これを書いているのはまだ5月の半ば頃だが、気温が20°を超える日は全然ある。外に出て熱い日差しを浴びるたび、夏がもうすぐそこまで来ていることを思い知らされる。私は寒さより暑さのほうが遥かに苦手だから、実は夏はそんなに好きじゃないのだ。
暑いのが苦手だからこそ、それを力強く吹き飛ばしてくれるような魔法をかけたくなるのかもしれない。
きっともう何日もしないうちに、私はその魔法に今年もまた手を伸ばすのだろう。
去年作った冷やし中華は正直盛りつけがイマイチだった。フォルダに証拠写真があるからこの記憶は間違いない。
今年は、去年より美しい魔法をかけられるようになりたい。
夏に向けた、ささやかな抱負をここに記しておく。