二度と戻りたくない瞬間は皆誰しもあると思うが、私にとっては今のところ就活の時期だけには戻りたくない。

その頃、私は実家から上京して、東京の短大に通いながら祖父母の家に居候していた。居候と言ってもちゃんとバイトはしていたので、完全なるパラサイトというわけではなかったのだが、部屋を間借りしているくせに家賃は払っていなかった。世間はコロナ真っ只中。毎日ベッドの上で授業を受けていた。

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短大2年目、時期が悪かったというのもある。突然、祖母が倒れた。高熱を出して、寝たきりの生活になった。病院には行ったものの、熱がある時点で発熱外来に回され、PCR検査を受けただけで帰ってきた。

それからまる一週間、結果が来るのを苦しんでいる状態で待ったが、結果は陰性。祖母は原因不明の高熱に魘され、しばらく生死の境をさまよった。

私は私で慣れない就活に追われ、エントリーシートを書いてはバイトをやり、オンライン面接を受けては祖母が食べれそうなご飯を作り、たまに対面の面接を受けては落とされて、またバイトに向かう。コロナ禍で大学にはほとんど出向いていないため、周りが今どうやって就活をしているのかも分からない。高校時代の友人は四年制大学のため、相談すらできない。孤独、孤独……。

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祖父はというと、まだ現役で働いているため、平日は毎日出勤していた。家事はある程度してくれたが、普段は祖母がやっていることのすべてを賄えるわけではない。

就活の焦りと、祖母が死んでしまうのではないかという不安と、なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだという苛立ちとで、とうとうバイト帰り、23時の国道沿いで泣きじゃくった。殺伐とした祖父母の家に帰りたくなかった。

そんな生活が一ヶ月ほど続き、もう一度祖母を受診させることにした。コロナじゃない以上は帰らされる可能性は高いものの、ダメ元で事情を話し、発熱外来とは別の検査をしてもらったところ、腎臓がうまく機能していないということがわかった。祖母は入院した。

結局、一週間ちょっとで祖母は退院できるほどまでに回復し、この話はめでたしめでたしとなるのだが、私の就活は9月まで続いた。内定が出たのはベンチャー企業で、一ヶ月も経たないうちにインターンで働き始めた。

が、入社して半年、社内事情の不信感から退職してしまう。新卒一年目、9月をもって退職。あの地獄のような就活は何だったんだと思ってしまうほど呆気ない。

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社会人になってありとあらゆる地獄を見てきた。営業電話をかけた相手から頭ごなしに人格否定をされたり、クライアントから怒りのメールが届いたり、入社して一ヶ月で23時退社の日が続いたり(通常19時退社)、適応障害になったり。

それでもどこか「なんとかなる」精神でいられるのは、あの就活時期より苦しいことはそうそう無いと分かっているからだ。今働いている先の上司からは、「肝が据わっている」と褒められる。恐らくその基盤は、2021年の春夏で培われた。

就活はしんどかった。二度と戻りたくない瞬間だが、今こうしてエッセイのネタにして書けるくらいには濃い時間だったことは確かだ。

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