私は友人の結婚式への参列がとてつもなく好きだ。

この世に存在するイベントの中でも上位にランクインするくらい。その理由はいたってシンプルで、煌びやかな空間と久しぶりに顔を合わせる友人たち、そしてその友人たちと一緒に大事な人の幸せを祝えるというイベントが幸せに満ちあふれすぎているから。

そんな私自身も、自分の結婚式を挙げることを今からとても楽しみにしている人間の1人である(今のところその兆しはまったくないけれど...)

しかし最近は結婚式そのものについて、その形式や意味合いについて人それぞれ様々な意見を持っているということを知った。本来の結婚式の意味をまともに考えたこともなかった私は、そういった人たちの意見に気付かされたこともたくさんある。

でも、私の中にある結婚式へのポジティブなイメージや憧れは今のところ変わっていない。むしろ結婚式に招待してもらう度に、幸せそうな2人に感化されその気持ちは増していく。

目の前のパートナーとの一生に一度の結婚式。招待状をもらったときは私のことをおめでたい席に呼ぼうと思ってくれたことがまず嬉しくて、そんな人たちが時間をかけて準備してくれた式なんだから、私も心からお祝いしてあげたいという気持ちでいっぱいになる。

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そんな私にとっての結婚式の参列は、例えていうならスポーツ観戦に近いものがあると勝手に思っている。

披露宴での新郎新婦の入場で、2人の晴れ姿に惚れ惚れし感銘して拍手を送っているときは、今期大注目の選手が好プレーをして得点を決めたときの感覚に似ている。厳かな雰囲気の中で決して声に出すことはできないが、もし私が実況者なら「いや〜、やはり素晴らしいですね!!!」と高評価の解説が始まってしまうところだ。

ブーケトスは、打たれたホームランボールをスタンド席でキャッチする観客のように、自分が発揮できる限りの動体視力と運動神経を持ち寄って全方位に向って戦闘体制で挑む。もちろんゲットできたときはカメラで抜かれたときの外国人のようにみんなの前で思い切りピースなんかをしちゃったりして。

披露宴でのお色直しは、音楽が流れ始めて扉が開いた瞬間、2人らしい世界観の中で登場する新郎新婦をみて、私は試合のラスト5分で逆転ゴールを決めたのを目の当たりにしたときくらい大興奮し、心の中では実際の声量の何倍もの大きさで「フゥ〜!!」と歓声をあげてスタンディングオベーションをしている。

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友人代表の余興やスピーチは、まるでスーパーボウルでのハーフタイムショーを観ているときと同じくらいワクワクする。その場を盛り上げてくれる人たちの雄姿に、気が付いたら私は毎回大きな拍手を送っている。

両親への手紙は、これまでの人生のドキュメンタリーをみているような気持ちになり、手紙の内容はドラフト会議の再現VTRさながら頭の中で映像化されていくので、いつも涙が堪えきれず、ハンカチはマストアイテムになっている。

自分自身がとびきりオシャレをして当日を迎えるのも楽しい。お祝いの場にどんな服を着ていきどんな髪型にするのか、それを考える時間はとても悩ましいがそれと同時に心は踊っている。

非日常感を味わえるのも結婚式に参列するのが好きな理由の1つだ。これは応援しているチームのユニフォームを着たり、フェイスペイントをして観戦しているサポーターと近い感覚かもしれない。

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夫婦の姓の問題を始め、家父長制の名残やジェンダー・バイアスなどの観点から、これからも結婚や結婚式に関する考え方は多様化していくと思う。それ以外にも金銭面や家庭環境など様々な理由で結婚式に前向きになれない人もいるかもしれない。

でも誰かと出会い結婚をするということは実際とてもおめでたいことだし、あなたが幸せなら、それが結婚というかたちではなかったとしても、あなたの周りの人は心から祝福してくれるはずだ。

結婚だけが幸せのゴールなのではなく、それはあくまでも人生における幸せの選択肢の1つであると思っている。だからこそ、結婚式というかたちでその最高に幸せにあふれた瞬間を切り取り、写真や映像に残しておくことにとても価値があるのではないだろうか。
スポーツにおける歴史的瞬間だって、何年経ってもその当時の感動は色褪せないものだから。