ひんやりとした冷房の空気を感じるたびに、私はいつも病院を思い出してしまう。少し乾いた空気の中の、微かな薬の匂いと、痩せた手のぬくもり。

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私の父は、夏の、良く晴れた日に亡くなった。がんだった。どこにでもある、ありふれた話だ。
夏にはいつもがんがんに冷房の効いた部屋で、大河ドラマと野球を見るのが好きな、至って普通の父だった。そんな父ががんを宣告されたのも、汗の滴るような暑い夏だった。

まだ大学院生だった私に、母とならんで「末期のがんだそうだ」とだけ呟いた父。レベルⅣの虫垂がんだった。人間ドックに毎年かかさず行っていたほどの健康マニアだったのに。なんで父が。色んな感情が渦巻いて、すぐには言葉を飲み込めない私の前で、父が本当に悔しそうに嗚咽を漏らした。
じいちゃんのお葬式ですら涙を流さなかった父が、初めて私の前で泣いた日だった。父を抱き締めずにはいられなかった。

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それから、がんとの闘いが始まった。抗がん剤も投与したし、少しの望みをかけて、手術もした。余命半年かといわれた父は、二年生きた。懸命に生きた。なかなか湧かない食欲とも、色んな副作用とも、たまに出る高熱とも、懸命に闘った。

父が過ごす病院で、当時まだ院生だった私は就職試験のために勉強をして過ごした。寂しがり屋の父は、病院で一人で過ごすことが何よりも辛いみたいだったから、母と二人、交替しながら面会時間いっぱいまで病院で過ごすことが多くなった。朝イチで病院に行き、面会時間が終わるまで父の横で本を広げて勉強をするのが日課だった。

休憩時間に、コンビニで買ってきたアイスや炭酸飲料を父に差し出し、看護師さんの目を盗んでは二人でそれらを味わったりもした。一緒にぼーっとドラマを見たりもした。しんどさからか、ベッドから動かない父を無理やり引っ張り、景色の良い談話室まで連れ出して、近くの空港から飛んでいく飛行機を眺めながら、「また絶対に旅行行こうね」と話したりもした。

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父の二年の闘病生活の間、私の友人たちは就職して結婚、出産をする子もちらほら出てきた。毎日のように病院通いをして、辛そうな、時には不機嫌な父を見るのは苦しくしんどいことも多かった。社会人になる姿を見せて父を安心させてあげたいという焦る気持ちや、順調に人生を謳歌するように見える友人たちに対する嫉妬、そんなことを思ってしまう自分への不甲斐なさに押し潰されそうになり、一番辛いであろう父にきつい態度を取ってしまうことも度々あったように思う。そんな私の刺すら、父は静かに受け止めてくれていたのだと、今になって思う。

父に見守られながら猛勉強したかいあって、私は父と同じ職業に就くことができた。そして、私が社会人になった一年目の夏、父は亡くなった。宣告された時と同じような、うだるような暑い日だった。
だんだん意識を手放していく父の手を、涙を堪えながら握り続けた。いつかは来るとわかっていたが、涙が止まらなかった。

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その後働くなかで、父と同職のせいか、父と仕事をともにした方々と会う機会も度々あった。私が父の娘だとわかると、「すごく朗らかな人だったね」「娘さんのこと、ほんとに大切にされてたよ」と生前の父の姿を聞かせてくれた。外ではもっと威厳のある父の姿を想像していただけに、それらの言葉は私を恥ずかしくも誇らしいような、複雑な心境にさせた。

それからもう三年。夏が来るたびに、汗をかくたびに、冷房の空気を感じるたびに、ふと父が頭をよぎる。しょうもない冗談を言ってガハハと笑う、夏の日差しのような父が。痩せても髪がなくなっても、懸命に生きた父が。そしてきっとこれからも、夏の日差しのように強かった父を、思い出すのだと思う。

父ちゃん、今年の高校野球はどこが勝つかな。